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五輪は観ていて普通でしょうか?

2012-07-31
正直言って、ロンドン五輪が始まってから、まともにTVで何らかの競技をまだ何も見ていない。毎日の忙しさもあり、時差の関係もあり。MLBの重大な試合であれば、全く時差は問題にしない自信があるが、どうもそれほどの“気力”が湧かない。前回の北京大会の際には、米国に滞在していた。すると米国メディアは日本のように五輪一色になるわけではなく、通常通りのスポーツ報道に加えて、五輪を報じる程度であった。幼少の頃から五輪というとTVの前にしがみ付く姿勢が、いつしか僕の中では過去のものになった。そしてまた、TV中継のアナウンサーや解説のことばに辟易し、競技の「現実」を“物語化”してしまうような、テーマ音楽付の脚色に嫌気がさしているのも事実である。

更に穿った見方をするならば、今年の関東での電力需給量はどの程度なのだろうか?昨年はWeb上などに使用電力量が必ず表示されて、その度合いが高くなったら節電に協力しろと社会的に喧伝されていた。ところが、今年は五輪のメダル数などが特集として表示されている。この暑さによる冷房の使用と、五輪関連のTV番組の過剰視聴によって、電力需給量は問題ないのだろうか?収束と値上げを決め込めば、庶民の節電は必要ないというのだろうか。まったく筋が通らないというのはこういうことである。

平和な社会として五輪を謳歌し、選手の懸命さから勇気を貰うのもいいだろう。スポーツ好きであるゆえに、それは全く否定しない。仕事等に余裕があれば、五輪を隅々まで観てみたいという願望が、僕の中に微塵もないわけではない。だが、今の意識でそれをする気にはなれない。たぶん、社会の流れとともに自分の中で、昭和時代の“五輪謳歌”とは、明らかに違う何かが心に巣食っている。社会とスポーツの関係も冷静に批評的に見つめてみたいという思いが、この約10年間止まないのである。

まあこれはロンドン五輪を、まともに見る時間のない人間の負け惜しみであるのかもしれない。人生を振り返れば、何歳ぐらいの時にこの五輪があり、こんな選手が活躍したということを指標にして、記憶の襞を拡げてきたのも確かである。単に2月29日があるということだけではなく、この世界的イベントがあるからこそ、4年間という時間の長さを認識できるのかもしれない。北京からの4年間で自分はどんな道を歩んで来たか。傍観者でなく五輪を観るには、そのような人生史的な指標として機能させるのが、僕には重要だと思える。

まあ、それにしても最大限の節電をしながら、
この祭典に興じる理性は持ちたいと、へそ曲りは語るのである。


明日からは関西で講演の為に出張し数日滞在。
来週は、九州でのフィールドワーク。

単に僕の中での優先順位が違うだけなのだろう。
そしてその根底に、
社会の流れに迎合したくないという信念があるのも確かである。
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