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「普通に」でよろしいのか?

2012-07-29
最近、学生の会話を聞いていると「普通に」という語彙が目立つのに気付く。何やら食べ物の話でも、「普通にハンバーガーにした」とか、「普通にコーヒーを飲んだ」とか。たぶん、その延長線上で「何曜日の何限は普通に・・・の授業にした。」などと授業選択についても、この形容で修飾し会話しているのではないかと予想する。日常的な食生活から、大学生活に関わる選択まで、彼らにとっては「普通に」をよしとするのであり、対義語の「特別に」であることは、あまり心地が良いものではないようだ。ましてや「特殊に」や「特異に」になれば、周囲からどういう眼で見られるかを懸念し、きっと“全力で”避けるに違いない。

将来や人生についてもまたその傾向がある。「適当に」「楽」をして生きていきたいと感じるような発言や事象によく出会う。人と違った個性的で「特別な」人生を歩もうとするのではなく、「普通に」生きていきたいと願うのである。『普通に生きていきたい』というフレーズだけを読めば、まあそれはそれで豊かな生き方であるとも思う。だが、若い時代に大志を抱くこともなく、頽廃的に「適当な」人生を願っている若者というのは、どうもいただけない。

「普通に」の頻用は、横並び志向の際たる表われではないだろうか。周囲の“空気”に同調し、「出る杭」になることなく、個性を殺し主張をせず、ただ平然と過ごしていく。あらゆる選択において「普通に」「適当に」のラインが何より重要である。だいたいにして、何を基準に「普通に」なのだろうか。その「普通」の基準作りの為には、あらゆる視聴嗅覚を動員し、その場での「普通」基準の情報収集に努める。そして「適当」である「普通」のラインを見極めようとする。周囲の状況先にありきで、自らの個性はあっさりと置き去りにしている。

もちろん、現在の学生世代が全てこのような状況であるとはいわない。だが、日常生活の中で使用する「普通に」という何気ない語彙に、その気質が炙り出されて来ていると考えてもよいのではないだろうか。やや大仰な物言いが許されるならば、「いじめ」などから自己防衛をして生き抜いてきた、小中高校での生活感覚が、自ずと「普通に」こそ最良であるという観念を、若者に植え付けているのではないだろうか。「出る杭」にならない処世術を、日本の教育環境は産み出しているのではないだろうか。


「ヒトに自分がいなくなった日
 ヒトはたがいにとても似ていた」
(谷川俊太郎「空に小鳥がいなくなった日」)


「普通に」でよろしいのか?
自己表現に関わる研究をしているだけに、
その社会的風潮に大きな懸念を抱いてしまうのであるが。
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