地域性への対応
2012-07-28
大学は今週で(先週の大学も)授業を終えたが、来週からは“夏の”といった行事が目白押しだ。今年は特に出版社主催の高校教員向け講演を大阪(8月1日)と東京(8月6日)で2回実施する。テーマは「「漢詩教材」音読・朗読の授業実践」。高等学校の授業において、扱いが単調になりがちな「漢詩」について、「声」を使った多様な読み方と授業実践を紹介する。同時に、実際に参加者をいくつかの班に分けて朗読発表をしてもらおうかと考えている。特に大阪での講演は、内容と共に「関西気質」への対応をいかにすべきかなどという配慮を考え始めた。会場全体で声を出そうというような場合、東京より意欲的に参加してくれるだろう、などという単純な予測を立てている。果たしてそのような予測でいいものか否か。この日は、関西出身の店主である店で、そんな話題を投げ掛けてみた。
すると奇遇にも、関西在住の知人やよく出張に行くという方がカウンターにいらした。結論として、講演の最初でいかに聴衆の心を掴むか否かが重要であるという話になる。とっておきのように奥に話を仕舞い込むことなく、最初からトップギアで行った方が功を奏するというアドバイスだ。逆な見方をすれば、東京人(関東人)は、どちらかというと“オチ”を最後まで温存し、格好のタイミングで出そうとする意図を持ちがちである。ただ、そこには注意が必要で、最初からトップギアで“滑る”と、もはや相手にはしてもらえないというリスクがあるという。自分が持っている聴衆の“掴み”感覚を、やや変更して臨む必要性がありそうである。まあ、実際に生身であるから、自分は自分のプレゼンをするしかなく、小手先の変化に走る方がむしろ不自然であるということも確かであろう。
こうした話をしていると、日本全国の「ご当地気質」の話題になった。北海道のスーパーの標識には「ここから100km 」の表示があるとか、沖縄の人が多様な言語感覚を持っているとか、狭い日本列島の中でも「異文化」と感じられる現象が、考えてみればいくつも散見されるという話題である。これは話していても実に面白かった。知らぬ間にカウンターコミュニケーションが全開となり、実に楽しい憩いの時間を過ごすことができた。
こうして話していた実感からふと考えたが、人と繋がるには飾らないということが第一であるという素朴な発見に回帰した。意図的に何かを仕組もうとした時に、まさに「策に溺れる」ことになりかねない。自分の持っているものを素直に率直に聴衆に向けていく姿勢に優るものはないだろう、という結論を一夜にして得た。
人と話すのはこの上なく面白い。
要は講演であろうと、こうしたコミュニケーションを成立させるか否かが重要である。
などと結論めいたことを考える宵のうち。
8月の特別な時間がもう眼の前である。
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