fc2ブログ

授業は出逢いの場である

2012-07-26
「恩師」というと、大学・大学院の指導教授はもとより、何人かの師の顔が浮かぶ。卒論・修論などに関わる深い関係で結ばれる師とは、やはりその後の人生においても多くを学ぶ、いわゆる「末永い」関係を構築して来ている。だが、そうでなくとも、例えば通常の授業という至って大まかな関係性の中でも、深く影響を受け、その後も永くお付き合いを願っている師もいる。なぜそのような深い人間関係を結んで来たのかを、ふと考えてみる。

もちろん、授業内容に発する学問的分野において自身が大変興味深く追究しているということも大きい。同時に師との相性というか、話せる感覚というような部分が大きく影響しているようにも思う。その師の話を聴いていて、どれだけ日常的な刺激が得られるか。また師もどれだけ自己を開示し、奥深い考えを語るのか。まさに人間的な部分で双方が好意的関係を結べるか否かが、とても重要な気がするのである。

今年も前期(春学期)の授業が終了した。4月から15回、毎週毎週、定時になると同じ教室に同じ顔が揃った。約4か月の間にも、生活の中で個人個人における気分の浮沈は当然ながら存在する。場合によると、途中で授業を脱落する者も現われる。次第に、そのクラスの持つ独特な雰囲気が生じて来る。少人数のクラスであればあるほど、個々の学生の毎週の変化が目に止まる。次第にお互いが、その場に集まることを深く望む感覚が生じて来る。

今期のスピーチクラスの最終回。特に8名であったクラスは、上記のような雰囲気に溢れていた。最終回を迎えて、このクラスを今日で終えることに寂しさが伴った。学生たちもそれを口にしていた。スピーチクラスは、自己紹介に始まり、思い出や経験などの自己開示が必然的に授業内で行われる。それゆえに、お互いを深く知る契機ともなる。通常の講義科目にはない学生同士の繋がりが生じ、そこに関わる担当者としても、まさに彼らの深遠なる部分に対してコメントをする場合も少なくない。コミュニケーションを実践的に扱う科目ゆえの、面白さが存分に感じられる授業であった。

「もう水曜日のこの時間に教室で会えない」
といった寂寥感を伴いながら、この日は全員で楽しくフリーな会話の時間を持った。


 僕が大学院時代にお世話になった、全く異分野の師が常々語っていた。
「授業とは出逢いの場である」と。
となると授業が終わってから、どう関わるかが重要になる。


一部の学生と帰路の電車に同乗しながらふと思った。
この8名がどのような学生時代を過ごし、
どのように社会に進んでいくかが知りたいと。

人間的コミュニケーション
たぶん、学問で理論的に計れない部分が、
授業には存在しているということなのだろう。


秋学期になり成長した彼らとの再会が、今から楽しみである。
関連記事
スポンサーサイト



tag :
コメント:












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック:
トラックバック URL:

http://inspire2011.blog.fc2.com/tb.php/993-70faf781

<< topページへこのページの先頭へ >>