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イチロー移籍による葛藤

2012-07-25
MLBのシアトル・マリナーズでプレイして11年目となるイチローが、ニューヨーク・ヤンキースに移籍した。もちろん日本のマスコミも、速報として一斉に「電撃」などという形容で報じた。僕は、このニュースを早朝からTwitterで入手していたが、その受け止め方には尋常ならざるものがあった。非常に簡潔に述べるならば、心から敬服する一番好きな選手が、心から打倒したい一番嫌いな球団に移籍したということだからだ。

MLBに心酔して約10年。03年04年のポストシーズンで繰り広げられた、レッドソックス対ヤンキースの壮絶な闘いを観てしまった僕は、迷うことなく野球観戦の足場を、日本プロ野球からMLBに“移籍”させた。そしてもちろん、選手年棒総額が突出するヤンキースをレッドソックスが打倒する姿に、すっかり心を奪われた。03年は松井秀喜の活躍もありヤンキースが勝利しワールドシリーズに進んだが、04年は3連敗から4連勝という離れ業でレッドソックスがワールドシリーズ進出、その勢いのまま制覇という“劇的ドラマ”を観てしまった。人生を変える書物があるように、この04年の壮絶な“野球ドラマ”は、僕の野球観を大きく転換させたといってよい。爾来、ボストンレッドソックスの並々ならぬファンとしてMLBを観戦して来ている。

この03年04年の死闘に象徴されるように、レッドソックスとヤンキースは永遠のライバルだ。いわば日本でいうところの「伝統の一戦」である。レッドソックスに心酔している以上、ヤンキースは邪悪で金満な“悪の帝国”球団なのである。実際に、僕がニューヨークに観戦に行ったとき、レッドソックスのキャップにTシャツでトイレの列に並んでいると、横に居並ぶ大男から激しいブーイングを受けた。生理現象を消化する場所でも、敵方のファンを嫌悪するほど、両チームのファンは試合中に熱く燃え上がる。ボストンでも、双方のファンがやり合う姿を何回も目撃している。ボストンの本拠地球場では、先発メンバー発表の時点から、壮絶なブーイングをヤンキース選手に浴びせる。もう既におわかりであると思うが、昨日というのは、僕がイチローに対してブーイングをしなければならない立場になった日なのである。

イチロー自身が、会見において涙目で語っていた。シアトルを去るには、激しい葛藤があったと。だが、若手中心に構成され始めている球団の中で、自分の存在が宙に浮いていることを自覚した結果、なるべく早くシアトルを去るべきという決断をしたという。現実的に、イチローの年棒や交換条件を満たす球団は限られているはずだ。そしてもちろん、この時季の移籍というのは、ポストシーズンへの闘いが視野に入る。アメリカンリーグ東地区首位のヤンキースこそ、この2条件を満たしイチローが念願のワールドシリーズに出場する可能性を大きく持っている球団である。そんな本人の思い以外の諸条件においては、イチローがヤンキースに移籍する必然性があると判断できる。このことは、正直なところ予見していなかったことではない。ただ、その予見をする僕の妄想の中でも、イチローがあのピンストライプのユニフォームを着ることには、甚だしい嫌悪感があったのも事実である。いまそれが現実となった。

日本でMLB球団といえばヤンキースだった。現在ほど日本人選手が渡米していなかった頃、MLBのキャップ=ヤンキースであった。そんな独占市場の延長で、未だにそれほどの信念もなくヤンキースが嫌いではないという人がいる。だが、今回のイチローもそうだが、財力に物を言わせて有力選手を買い漁る体質に対して、僕はアンチテーゼを示したい。必然的に内部から昇格を狙う若手選手に機会はなく、それを「常勝を義務付けられた」などという帝国主義的思想で正当化する。財力任せの強引な組織体質は、ある意味で米国に存在する全能感ともいうべき抑圧的思想に通じる。広い意味で述べることが許されるならば、日本が米国によって様々な先鋭的に“見える”提供物を押し付けられてきた歴史の根底には、こうした体質が潜んでいるのではないかとさえ思いたくなるのである。少なくとも、日米両国元来の体質の違いを考慮するならば、この全能的思想の華々しい産物を、痩せた日本列島が、虚飾を施すために身に纏い不均衡極まりない姿になってしまっているのではないかとさえ敷衍して考えてしまうのである。ヤンキースは、その思想をわかりやすく球団経営という形で、僕たちに見せてくれている。それだけに、30球団で年棒総額3位のレッドソックス(ヤンキースとは大きな違いがあるのだが)が、ヤンキースを倒すこと。はてまた映画「マネーボール」で描かれたように、遥かに財力の劣るオークランドアスレチックスが、球団経営上で様々な工夫を凝らしながらヤンキースを倒すことは、米国内でこうした抑圧体質に気付いている人々を、この上なく熱狂させるのではないかと思う。

僕自身、日本人一ファンとしては、イチローを帝国主義に奪われたかの如き衝撃がある。それだけにイチローがそのヤンキースで、どれほど自分の哲学を堅守し続けるかには、甚だ興味がある。いや、どうしても貫いて欲しいと願う。移籍初日から髭を剃っていたなどという外見上のことは、さておくことにしよう。(もはや髭のイチローは見られないだろう)彼の野球人生において、今、何をするべきか。敬服するファンとしては、そこを十分に冷静に見守りたいと思う。移籍後のラインナップで「8番・ライト・イチロー」という今までに野球を始めた幼少時にさえ経験したことのない座席に腰掛けたイチローが、何をするかを。幸いシアトルのファンは彼を温かく見送った。ニューヨークのユニフォームを着たイチローに総立ちの拍手が贈られた。深々とそのファン達に向かい二方面に礼をしたイチローは直後の打席で中前打を、いとも簡単かのように打った。「センター前ならいつでも打てる」という哲学を体現するかのように。そしてすかさず二盗を試みて成功させた。彼らしい贈り物をシアトルに置いて、イチローはニューヨークの人になった。聊か、個人的な希望を述べるならば、選手生活の最晩年に、もう一度シアトルのユニフォームを着て欲しいという願いを持った。


松井秀喜がワールドシリーズMVPに輝き、最大限その勝利に貢献した直後のオフに、契約を結ばなかった球団。日本人ファンなら、もっと怒っていいはずだと思った。

日本人として、野球ファンとして心酔するイチローを、
邪険な扱いをした時に、僕はこの球団を許さない。
それゆえに、レッドソックス対ヤンキースの試合では、
僕は躊躇なくブーイングをするだろう。

僕の中で、
イチローへの愛情の形が、180度反転した一日であった。
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