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「声の力―文学の力」恩師を偲びて

2012-07-23
朗読会の興奮冷めやらぬ休日、卒業生3名と恩師の墓参へ。この前期終了頃となると、5年前に急逝した恩師の命日前後のことが自ずと思い出される。そして、墓前から奥さまの自宅へと伺い、恩師と対話する時間を持つことにしている。4日前が命日にして、墓前には既に多くの花が手向けられていた。その場所で、毎年のように今の自分を改めて省み、今何をすべきかを問い返す。その心を天に居る恩師へと託すひとときである。

奥さまの自宅に伺うと、恩師の優しい表情の遺影が僕たちを迎えてくれる。そして奥さまとの対話を繰り返すことで、いつしか恩師と話しているかのような錯覚に陥る。新たに出版した著書のことを始め、近況などをほぼ1年に1回会う卒業生とともに語り合う。奥さまの柔らかなことばによる著書への批評は、恩師の気持ちを代弁しているかのようで、「あとがき」に記した「(天においでになる先生にも)にもこの一書を捧げたいと思う。」の下りが、現実として報われた思いになる。いつしか対話は、卒業生の近況にも及び、彼らも社会人として確実に歩みを進めていることが知られてくる。国の中枢機関で重要課題に携わる者、地方自治体で公務員として奮闘する者、新たに留学を志す者、誰しもが前向きに人生を歩んでいる。その前向きさを聞くにつけ、更に自らも前進せねばという気持ちにさせられる。

生前の恩師に教えられたことは、教壇に立つ以上常に「日本一の教材研究」を目指せということだ。教えるということは、その教材の内容に深く精通していなければならない。特に自らが専攻した平安朝文学においては、妥協なく研究すべきであるということ。「教材」はすなわち「文学」なのであり、「国語科内容学」を専攻とする以上、学会でも通用するようなレベルの研究をできるべきだという志である。それはまさに「文学を精緻に読む」ということであり、そこに古典への興味をこの上なくそそる魅力が見えてくる。「文学」との対話を極めるには、文学研究へのあくなき情熱が必要であるのだ。

その「文学」を「声」で表現することに個人的な研究課題を置いている。その音声表現が人を惹き付けるのは、「声の力」と「文学の力」の二要素が融合するからであると、一昨日の朗読会で改めて感じた。享受(理解)から表現を担う「声の力」。そして表現される内容として深遠なる森の如き奥行きで人を魅了する「文学の力」。今回の朗読会で表現された『和泉式部日記』を聴いていて、いつしか日記文学の泰斗であった恩師の研究のあり方が思い出された。「日記文学」のもつ1人称語りの要素。その素材を対象として、3人称的物語手法を以て描こうとする作品の本質。「声」にしたときに、それはやはり単なる内省的な作品でないことが自覚される。

恩師は生前、大学や社会の中で「文学がもっと大切にされるべき」と語っていた。そんなことばを、改めて奥さまの口から聴いた。そのためにも、中学校・高等学校を始めとする教育現場で、そして大学教育の場で、「文学」が鮮やかな光を放つように人を魅了するものとして表現されなければならない。その「文学」と「国語教育」の接続点に配慮することを、恩師は常に忘れていなかった。教科書編集に自ら携わること然り、大学院で現職教員を大切にしてくれたことも然り。まだまだ恩師には到底及ばないが、その「文学」と「国語教育」との融合という自分の特性が活かせる分野おいて、恩師の意志を引き継いでいることもまた、奥さまとの対話で確認できた。

ひととせにひとたび来ます恩師の墓前。
七夕が誕生日であった恩師の心を鑑にして、
その1年の自分を照らし出す。


「声の力」「文学の力」
今日からの1年も、この課題が様々な成果となるよう、
また気持ちを入れ替えて精進して行きたい。

そして改めて
「文学を大切にする社会にしたい」
と心に誓うのである。
すると恩師の遺影が僕に小さく肯いていた。
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