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文学に酔いたい

2012-07-22
朗読発表会当日。朝から多様な妄想を抱きながら大学へと向かう。それでも事務的に必要なことを頭の中で整理することが優先されて、なかなか豊かな想像に浸ることも許されないような心境。使用教室の視聴覚機材の鍵を講師室で借りていざ会場へ。10時開始の最終リハをスタートさせる。予想にもまして順調に最終リハーサルは進行した。前夜の段階で不安のある班に関しては、映像・効果音との合せ方の確認が必須。朗読表現にどこまで他の要素を含めるかは、様々な考え方があろうが、各班の工夫に任せた“演出”を成功させるために、一通りの“合わせ”に腐心する。

開場すると参加予定の高校生たちが来校。次第に一般の方々の姿も見られるように。知人でご来場いただいた方々への挨拶などをしつつ、オープニングの時間が近づく。そして時刻は13時を回り、まさに開口一番、恒例により僕自身の詩の朗読で会は始まった。この発表会の第一期受講生で、現在は教員として教壇に立つ「ヒト」との声の交響である。その声は、何の前触れもなく会場に響いた。するとすぐにそこはライブ空間に転換した。「声」を人々の間に差し込むことの妙を味わいながら、その後、スクリーン表示の担当席に座る。

僕は基本的に、全体の進行に気を配りながら会を見守る立場であった。しかし、次第に発表される朗読表現のライブ性に、引き摺り込まれるような感覚となる。事務的なことしか聞こえなかった“仕事耳”は、いつしか文学を聴く、“感性耳”へと変化してくる。授業の早い段階から課題として来た芥川龍之介『杜子春』の朗読。やはりクライマックスで両親が姿を変えた馬たちが鞭に打たれ、「おかあさん」の声を発してしまうシーンには、涙がこぼれる。これは、個人的に読書をしている際も、幾度か繰り返している“行為”であるが、それを学生たちが様々な模索を繰り返し朗読作品に仕上げたことへの感慨が重なる。

更には読み聞かせ『手袋を買いに』(新美南吉)。「ヒトとは怖いもの」という点において、人間とは何かということを改めて浮き上がらせる。素朴な絵と「声」の交響により人間味とは何かという命題を、聴き手に柔らかに伝えてくる。

院生・修了生を中心にした朗読チームによる太宰治『失敗園』。ある男が、家庭菜園に生きる11種類の植物たちの声を速記するというあらすじ。特段な演出もなく、「声」のみで何ができるかという試行錯誤が、一つの表現として結実する。全員が現場の教壇に立つ者たちが、自らの「声」に自覚的になるための貴重な機会と位置付けての朗読であった。

後半は、読み聞かせ『こんとあき』から。「ぬいぐるみ」である「こん」と「あき」の心温まる交流。どんな時も「あき」の不安を「だいじょうぶ。だいじょうぶ」と励ます「こん」の優しい声が、響き渡る。どれほど“ヒト”として童心の如く感性豊かに生きることが大切かを、改めて届けてくれる絵本世界を見事に再現した。

古典散文の朗読は、今回、平安朝文学である『枕草子』『和泉式部日記』と中世軍記の『平家物語』を組み合わせた。その作品性の差を、季節の逡巡の中に配し、それぞれの作品をどのように読んだら効果的であるかという模索であった。同じ班の裡に、「平安」と「中世軍記」が同居したことで、練習の段階から様々な切磋琢磨が生じた班である。その結果、相互の文学の魅力を存分に引き出す朗読表現になったと感じられた。

こうして4月からの授業を通じて「朗読」を実践的に考えて来た学生たちが、一つの表現を多くの人々の前で発表した。各班の声を聴いていて、いつしかその各作品の持つ深淵に惹き込まれ、陶酔するような感覚になった。「声」の力と「文学」の力が、見事に一つのライブ表現となったからである。

文学に酔いたい。
「声」を出し、そして聴いて酔いたい。
そんな原点がまた改めて自分の基本的な課題であると認識された。

まだまだ書き尽くしたいことは多いが、
本日のところは、寝ぼけ眼での所感のみにて。

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コメント:
参加できないのが残念でした。

何らかのかたちで録音ら聞かせて頂けたら

ありがたいと思います。いかがでしょうか。
[2012/07/23 07:33] | 渡辺知明 #- | [edit]












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