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「虚―静かな心」になるために

2012-07-20
太極拳やヨガの動きにより、心身の柔軟性を求めるエクササイズがある。ジムに行ける日程上、頻繁にそのクラスに参加できるわけではないが、時折、どうしても参加したくなる衝動に駆られる。自らの身体にどれほど柔軟性が欠如しているか。その“固さ”は身体に留まらず、心の固着にも通じ物事の停滞を招く。だからこそ、心身を優しく解きほぐすエクササイズが必須となる。

『老子』を詩的に翻訳した加島祥造氏の『タオ』(筑摩書房)を開くと、そんな境地が珠玉のことばとなって心に訴えてくる。その一例(第十六章)。

 「虚とは
  受け容れる能力を言うんだ。
  目に見えない大いなる流れを
  受け容れるには
  虚で、
  静かな心でいることだ。

  静かで空虚な心には、
  いままで映らなかったイメージが見えてくる。
  萬物は
  生まれ、育ち、活動するが
  すべては元の根に帰ってゆく。」

 前述のエクササイズに参加すると、自然とこの翻訳に表現されたような境地が見えてくる。「静かな心」を求め、最低限の力で身体の均衡を制御し、自身の呼吸が聞こえてくるような域に達してくる。すると「虚(うつろ)」なる心とは何かが、少し体感できるような気がしてくるのだ。だが、なかなか誠の「虚」になるのは難しい。小欄のタイトルにも「虚往」を掲げているにもかかわらず、のちに自身で読み返せば、“主観の手垢”にまみれた感性で、物事を捕捉していることに愕然とする。

 「それを知ることが智慧であり
  知らずに騒ぐことが悩みの種をつくる。
  いずれはあの静けさに帰り
  甦るのを待つのだと知ったら
  心だって広くなるじゃないか。
  心が広くなれば
  悠々とした態度になるじゃないか。」


「知らずに騒ぐ」ことのいかに愚かなことか。
だが、世相の流れに身を曝していると、
いつしか「悩みの種」を作っている。

「智慧」を発動するには、
身体全体の柔軟性と落ち着きが必要であるように思う。
「あの静けさ」に帰るためにも

自らの呼吸の音を聞く時間が必要だ。
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