「朗読実践への提案in早稲田2012」まであと2週間
2012-07-07
題材を選び場面を決め分担を配する。そして読み方の演出を考案し脚本として練る。文学作品が朗読にと変化して行く過程である。それを2回の授業で繰り返し、ようやく文学が「声」となってくる。この日は3回目として、各班が「文字」を「声」にしていく段階まで進行した。すると、それによって見えてくる様々な事態に遭遇し、また新たな模索が続く。「文学」を「読み込む」というのは、本来こういうことなのかもしれない。表現してこそ、作品の深淵に触れることができるのである。更には、「声」として表出すると、そのあり方にも配慮が及ぶ。果たして〈教室〉でその「声」は届くのか?通常、授業を行っているのは横長の視聴覚教室。「実践提案」当日は、縦長で300名は収容可能な学部校舎最大の教室。自ずと「生声」の届き方が気になるところである。そのせいか、この日の授業で古典班においては、学生が自主的に「届く声」を求める動きが始まった。発声・声出しから腹筋への意識まで、最後には〈教室〉の隅から隅まで届ける声を意識する相互“鍛錬”。学生たちの持つ様々な個性がお互いを刺激し合い、新たな化学反応を産み出していく。
こうした場面に触れると、改めて「届く声」とは何かを考えさせられる。大きければいいのか?怒鳴ればいいのか?声質・トーンにおいても様々な要素がある個々の学生が、どこで「“自分の”届く声」を見つけられるか?たぶん、僕自身も学生時代から、教員となって現場に立ちつつ、様々な局面で「届く声」を模索してきたのであると改めて振り返る。そんな経験からして、理想としては「穏やかにささやかでも届く声」を今でも目標にしたいと考えている。
同時に、こうした「届く声」を共有し意識できる機会・方法を構造化し、実践として備えておくことに更なる模索が必要だ。授業の小さな機会の中で、相互コミュニケーションが意識化できる方法を、更に明晰にして確立しておきたいと考えた。「届く声」における模索は、今後も果てしなく続く。
それにしてもあと2週間。ようやく朗読の方向性が固まってきた。
だが、学生たちの成長は、まだまだこれからである。
こんな過程を経験している学生たちの発表を、一人でも多くの方に観ていただきたいと思う。
「朗読実践への提案in早稲田2012」
(早稲田大学国語教育学会研究部会
「朗読の理論と実践の会」主催)
日時:2012年7月21日(土)13;00~16:30
場所:早稲田大学16号館106教室
(*一般公開ですので、どなたでも入場可能です。)
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