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闇はあやなし

2012-07-03
源氏物語を読んでいると、実に様々な発見があるが、特に中古の時代に生きる人々の嗅覚における敏感さに出会うことがある。光源氏が立ち去った後には残り香が漂い、それが「えもいわれぬ」と讃えられる。若菜上では、光源氏は既に40歳となっているが、それでも「なごりまでとまれる御匂ひ、「闇はあやなし」と独りごたる。」と表現され、周囲に仕えていた乳母たちが、「闇はあやなし」という和歌の一節を口ずさんだという場面がある。

「春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるる」(古今集)


「闇はあやなし」はこのような名歌の一節である。
「春の夜の闇は理屈に合わずわけがわからない。闇の中で咲く梅の花の色はまったくといっていいほど見えないのだが、香りは隠せるものか、いや隠せない。(だからその在り処は十分にわかるのだよ)」といった意味になる。

そこには、梅の花が視覚的に見えないという「闇」が存在している。それだけに嗅覚を働かせて、「梅の花」の在り処を確かめて和歌に詠んだという趣が感じられる。美しき花は、何も視覚だけで観賞するものではないことを教えてくれる。

僕たちは、本当の「闇」を知っているだろうか。生まれてこの方、完全な闇の中に身を置いた経験は稀少ではないだろうか。それだけに、何事も映像による視覚的な享受に慣れてしまい、嗅覚を働かせて物事の趣や実体を捉える感覚を極端に退化させてはいないだろうか。電気照明の無い中古の時代であるからこそ、このような名歌が生まれ、その延長上に、物語人物の造型に「匂い」が欠かせないものとなっている。それもまた、日本文化の重要な要素であるはずだ。

首都圏では、節電の意識が昨年に比して低下してしまったように思う。
現況の社会情勢という狭い範疇のみならず、日本文化のあり様を考える為に、
身近な照明について見直す姿勢があってもよい。
2011年に日本人が考え実行したことを、単なる過去の出来事にしてはならない。
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