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ひらがなの効用―語の響き

2012-06-26
「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。」

著名な紀貫之『土佐日記』冒頭部分である。
平安時代当時、男性は漢字・漢文こそ真の文字ゆえ「真名」と呼び文章を記すのに使用した。それに対して女性は、新たに開発されてきた仮の文字ということで「仮名」を使用した。このような文化的背景の中で、下級官僚である紀貫之は、男でありながら自由に文章を記したいという願望を叶えるために、自らを「女もしてみん(女である私も書いてみよう)」と宣言して、「仮名による日記」を書き始める。男性官人たちが、漢字・漢文で書き記す日記は、公的な意味合いもあったわけだが、やはりその表現に制約があったのであろう。かくして、和文体が仮名文字で自由に書き記すことができるようになり、やや時を経て、平安朝女流文学が全盛を極める時代を迎える。文字表現の変革は、新たな文化を開花させるのである。

もちろん、「仮名文字」のみの表記というのは、現代ではむしろ違和感が強いかもしれない。同音語の識別に困難が生じ、文節・単語の切れ目の認識に気を遣う。自分で使用する意図はなくとも、自然にキーボードを叩けば「漢字」が顔を覗かせるので、仮名ばかりになることも少ない。幼児向きの絵本を読んでみたりすると、仮名文字ばかりですんなり読めるかというと、常に内容解釈をしながら読み進めなければ、流暢とはいかない。この漢字・仮名(片仮名を含む)交じり文という日本語表記こそ、言語としての特徴的な韻律・文体を造り出しているのだ。

仮名表記を敢えて採用した表現者もいる。
会津八一の短歌の多くは、仮名文字のみによる表記法で、和語のやわらかな韻律を再現することに配慮し、元来、短歌が声で「謡われていた」ことを髣髴とさせる。

ならさか の いし の ほとけ の おとがひ に こさめ ながるる はる は き に けり
(『南京新唱』より)

短歌を構成する一語一語の韻律がどのような響きを持つか。漢字仮名交じり文では、見過ごしてしまう感覚を呼び覚ますことに成功している。決して読み易いとは言い難いのであるが、一音一音を大切にして短歌を読もうという態度を必然的に要求する。一音の連続が一語となり、各語が助詞によって連接され、短歌の核心部分で助動詞が導入されて、見事に一首が収束し余韻を残す。我々が日常で失ってしまった、和語の響きを極度に意識させる短歌ということができる。

韻律に目もかけず、キーボードが打ち出す無味乾燥な文体に慣れてしまっている日常。時として、難解な漢語を避ける傾向も否めない昨今。『天声人語』に「酸鼻=むごたらしいこと」や「無辜=罪を犯していない」などの語彙を発見し、漢語としての意味を意識的に読もうとすることに、教養を維持する境界線を見出したりもする。外来語の頻用に走るのではなく、日本語が本来持つはずの多彩な要素を、我々は存分に使用していく責務を果たさなければならないはずだ。文化を継承するというのは、大仰に構えるのではなく、まずは身近なことばを大切にすることである。

日常の文章の点検にも、積極的に「声」による推敲を導入したい。
その韻律・文体の響きが美しいかどうか。
もちろん小欄の文章も、「美しさ」を持つかどうかは甚だ心もとない。
それでも自己の表現のあり方にこだわりがあるかないかの差は大きいはずだ。
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