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拍手で了承という方法

2012-06-20
僕たちは少なくとも学校で、民主主義とはどういうものかを学んだ。小学校の学級会という小さな社会で、意見を述べることの貴重さを学び、多数決という方法で最終的な決定が為され、少数意見も尊重されると教わったはずだ。だが、実際の社会に出てみると、そんな民主主義的な基本が厳然と存在していることは少ないことにも気付く。会議そのものが報告会のようなもので、結論ありきで進行し、少数意見を述べると尊重どころか蔑視されることすらある。そんな小さな組織の中での会議という形態ひとつをみても、果たして民主主義とは何であろうかと思うような現実がある。

中でも、重要な案件に対して「拍手」で「了承」を求めるという形式がある。時間短縮のため、この上なく結論ありきを助長する方法として最大限の効果を発揮する。場合によると、拍手の数がまばらであっても、議長の裁決で「了承と認めます」となれば可決となる。どこから出てきた悪弊であるかは調べたこともないが、場の〈空気〉に依存した大変日本的な会議の方法ではないかと疑いたくなる。もちろん、案件の重要度によっては、この方法でも妥当だと判断できるものがないわけではない。

議長の会議進行の方法にも問題点が少なからず見られる。「この案件に異議のある方はご意見をお願いします」という差し向け方には、案件の方向性を既に大勢であると認めてしまっているという前提がある。至って「異議」を述べにくくする〈空気〉を醸成し、時間短縮という建前のもとで、一方的な会議ならぬ報告会が進行する。次第に参加者も、既にそれが意見を述べる場だとは認識しなくなる。貝のように黙然として、ただ報告の流れを聞くのみで、個人の中でどのような考えがあろうとも発言すらしなくなる。

コミュニケーション分野において、その重要性を説く際には、「双方向性を心掛ける」ことが第一であるとされる。一方的ではなく、双方において「話ができているか」が重要なのだ。これは小さな集団内でも、面接やパブリックスピーキングなどの場面でも同じであろう。教育現場の授業などを含めて、参加者が「双方向性」を実感できるかどうかに、コミュニケーションの原点はある。そうした意味で、“日本的会議”の方法は、実に「一方的」であると言わざるを得ない。こうしたコミュニケーション欠如の蓄積が、後に大きな瑕疵となって露出してくることも意識せずに、今日もどこかで「拍手」による「了承」が行われているようである。
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