「極楽と地獄」―反転の自覚
2012-06-14
朝日新聞のお気に入りコラム、天野祐吉氏の「CM天気図」を読んでいて思わず肯いた。広告の方法として「恐怖アピール」というものがあり、その好例が野田首相の「大飯原発再稼働会見」であるとするのだ。「恐怖アピール」とは、「これを受け入れないとひどい地獄が待っているぞと、相手をおどして受け入れさせようとする手法」であるという。「下町のワルガキ」が「地獄絵」を見せられて「簡単に教化」される構造であると、天野氏の弁舌は明快だ。特に日本では、「極楽」より「地獄」が「実像」であるという民俗学者・五来重さんの説も引用し、日本人が「地獄に堕ちるぞ」という「おどし」に「リクツ抜きで弱い」と続ける。確かに、教育の現場でも、CMにしても、「こんなに大変なことになってしまう」という悲劇を喧伝され、気持ちの方向性を教化された経験は、誰しも少なからずあるように思う。地獄を見ない為に、電力を確保する。それが国民のためであるという理屈。経済・:社会が大混乱し、停電により緊急な事態等に大きな支障が生じるという“想定”は、現状の生活を確保できない“恐怖”が待ち受けているという想像に過ぎない。柔らかな口調で敬語を頻用し、その「地獄絵」を語るリーダーのことばは、80年代に語り古された、政府や電気事業連合会のPR広告と「好一対」な「事例」であると天野氏も指摘する。今の国民が、この「地獄絵」を、果たして信じるとでも思っているのであろうか?僕たちは、実は「地獄絵」によって隠された、本当の「地獄絵」を“フクシマ”で体験したのではないだろうか。
日本的昔話を顧みれば、大抵は欲を出した者が大きな代償を負う。浦島太郎は、極楽同様の「龍宮城」を謳歌したが、時間を忘れていたことを忘れ、決して開いてはいけないと言われた「玉手箱」を開けて、一気に「老い」という代償を背負う。こぶとりじいさんもまた然り。「極楽」が味わえるという“幻想”は、人間の醜い欲が露出した時に、一気に反転し「地獄」となる。芥川龍之介の名作『蜘蛛の糸』において、極楽から下がってきている糸は、一見、幸福への道のようだが、醜い心が見え透いた時に、一気に地獄へ堕ちる儚い幻想に過ぎない。「極楽」を望もうとする我々国民が、全員で「蜘蛛の糸」に望みを託して上ることの方が、極めて危険であると過去の文学は語るのだ。
電力が不足することは、決して「地獄」ではないだろう。昨年において既に関東圏では、「節電」を心に決め込んで、僕たちは新たな生活観念に踏み出そうとした。闇の利点を発見し、エスカレーターが使用できなければ足を使い、暑さを凌ごうとする工夫に趣を見出そうとしたはずだ。「経済が立ち行かなくなる」という「地獄絵」PRは、既に80年代の過去の話に過ぎない。2010年代の今、僕たちは「経済」のみを最優先にする「極楽」のみを求める生き方から脱して、新たな生活観念を創造していくべきではないのだろうか。
もはや空虚な幻想である「地獄絵」に、僕たちは騙されない。
「地獄絵」の裏で描かれている「極楽」を希望などしない。
「極楽」が喧伝される時、それは瞬時に「地獄」に反転することを、
僕たちは数多くの過去の文学から学んで知っている。
国民一人一人が、自分たちの為に、どんな選択をしなければならないか。
十分に思考を練磨して、考え抜きたい。
日本国民はそれほど愚ではないはずだ。
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