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武士の歴史から学ぶもの

2012-06-11
視聴率が低迷しているという大河ドラマ「平清盛」。前半の佳境である「保元の乱」の回を経て、乱以後の流れが描かれる。崇徳上皇側に加勢した平家では、清盛の叔父・平忠正ら、源氏では為朝の父・為義らに死罪が言い渡され、清盛・為朝の二人が、斬首に当たるという、人間としてどうあっても耐え難い非情な状況に追い込まれるというのが、6月10日の内容であった。「保元の乱」で勝利した後白河天皇側とその後見勢力である信西ら新興貴族。政治的な権力が、人にどれほどの苦悩と抑圧を強いていたかが深く知られる。この歴史の断層に、朝廷と武士との政治的相互牽制の根本的図式構造が深く存在していることが窺えて興味深かった。

清盛が平家の陣頭に立ち宣言するのは、「平家は一蓮托生」ということ。どんな結果を歩もうとも、平家一族は武士として行動・運命を共にするということだ。この理念は、これ以後に描かれる大河ドラマの中で、一つの平家栄華となって結実するのであろう。だが、平家の最期を我々は歴史として知っている。まさにこの清盛の理念を、現実に通した結果として歴史は存在している。「一所の死」「死なばもろとも」という武士道的な思考の根源は、平安期末において朝廷権力へ迫ろうとする武士が、その抑圧に耐えながら駆け上がる段階において生成されてきたともいえる。以後、幕末・明治維新まで続く武士の世の中。その中で、武士としての体面を通し忠義を貫く姿勢が重んじられ、様々な“精神論”を歴史は産み出してきた。幕末の志士たちが、その矛盾を疑い破壊しようとするまでは、何よりの正義として機能していたはず。だが、その体面と正義により、どれほどの苦悩が世に存在していたかと思うと、想像の域を遥かに超えてしまうように思う。

幕末維新の時代や戦国時代とは反対に、平和の時代が動乱に向かう方向性をもった平安末期。歴史をドラマ化する中で、この方向性に暗い影が多く存在する。開拓して新しい世の中が求められる歴史としては同じはずなのだが、天下泰平の江戸時代や、維新政策が邁進する明治時代への開拓とは、何かが決定的に違う。武士の世の中が産み出してきた歴史的流れの中で、特に負の重苦しい部分を覗かなければ平家の時代が語れないからであろう。ある意味で、こうした重苦しさが十分に描出されているということは、大河ドラマとしては成功しているのであろう。問題は視聴者の受け止め方にあるのかもしれない。

政治的権力と民衆という関係において、この平家がこじ開ける武士の時代が遺した功罪は計り知れない。明治維新によってその流れは途絶えるように見えるが、尚も武士道的精神構造が、世の中の底流に根付いていたのは、その後の歴史から汲み取ることが可能であろう。要は、何を「功」と考え、何を「罪」と考えるかという尺度が、権力に関与した時に大きな振幅を示すことがあるという構造があるのではないかと独断を述べたくなるのである。政治・経済・社会・教育の諸分野において、今でも“精神論”と判断せざるを得ない姿勢が横行するのは、こうした歴史が背負って来た流れを、捕捉できず学んでいないからではないだろうか。


この日も、Twitter上で次のようなコメントに共感した。

「現実への危惧を「精神論」という者こそ精神論だ。」
「英知への怠惰だ。」


歴史から目を背けようとする“精神論”
こうした日本人の性向が、大河ドラマの視聴率を左右しているとしたら・・・。
ましてや目の当たりにした至近の歴史に対して目を閉じてはならないだろう。

歴史から客観的に学ぶという民衆としての英知を、
我々一人一人が持たなければならないはずだ。

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