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地図と方向感覚

2012-06-10
子供の頃から地図を見るのが好きであった。地名を読みながら、いつしか現地を歩いているような感覚になって来る。国内外を問わずそれは同じ。何かしら時間があると地図上の旅を楽しむこともしばし。中学校の社会(地理)の時間には、地名早引き競争のような機会が設けられていたと記憶するが、常にクラスで1番だった覚えがある。

地図を見るのに加えて、野性的本能のような方向感覚が備わっていると自負する面を感じる。特に方位磁針なしでも、街中であれば正確な方向感覚が常にある。他の人と場所に関する話をすると、「あそこに・・・」と言いながら、その場所が存在する方向を指差すこともある。そして、大概それは方向として正しい。街中の方向感覚についても、国内外を問わずに機能する。

都内であれば、平板な地図に加えて地形の起伏までを考慮することがある。どのルートを通れば、一番アップダウンが少ないか、などと考えて行程を決定する。社会人として大学院に通っていた頃には、勤務時間が終了するやいなや職場を飛び出し、自転車で大学に向かった。所要時間約30分。何度かの試走を繰り返し、これ以上ないほどの独自の“直線ルート”を設定した。時に路地裏を走り、大通りを横切り、都電の踏切を越えて、大学直前の急坂を爽快に下る。その先にある、学問ができる悦びに到達するため、毎回必死にペダルをこいだ。地図上の“直線”にほぼ沿うように、この独自の“学問への道”は設定されていた。それでも、都内を走れば起伏に出くわす箇所も少なからず。坂を上る時に苦しくなると、大学の応援歌を心の中で歌い、坂の頂まで上り切っていたのが懐かしい。

最近は、スマホの地図機能が高性能である。もちろん便利なものとして重宝している。ただ、それを読みつつ効率的なルートを探るという癖は健在だ。GPSが示してくれる自己の位置が、微妙にズレていることがあるが、その差を捕捉することはもちろんである。こうした便利な道具を使用しつつも、地図好きであることと方向感覚は衰えることはない。

地図を読むと、世界観が拓けて来る。
そして自己の歩みを促進する。
社会人大学院時代の自転車“通学”のような強い意志が、
地図上に刻まれる。
また新たな地図を、妄想たっぷりに読み続けたいと思う。
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