映画「この空の花」―長岡花火物語
2012-06-03
花火には独特の魅力がある。暗闇を見上げ、ただひたすらその光の競演を待ち続けると、いつしか多彩な閃光が心を掴んで離さない。新潟県長岡市に隣接する小千谷市が僕の母の生まれ故郷であり、これまでに何度が現地で実際の花火を桟敷席から見上げたことがある。母の節目の歳には、地元の同級会が音頭を取りその歳の数だけ連発花火が上げられることがあった。その一発一発の閃光が、母のそれまでの人生を表現しているようで、自ずと自己の生存そのものの意味を考えてしまい、目頭が熱くなったことがある。花火とは、その土地に生きる人々の“意志”を背負って、大空に放たれているのである。こんな経験がある為、「長岡花火物語」というサブタイトルのこの映画には、即座に心惹かれた。
九州は天草の地方紙記者である遠藤玲子(松雪泰子)が、中越地震で大きな被害を被った山古志村に住むかつての恋人からの手紙を契機に、長岡市周辺を旅して体験する不思議な時間。新潟の地方紙記者である、井上和歌子(原田夏希)とともに、花火に関わる人々に多く出会う。戦時中から時空を超えて登場してくる不思議な少女・元木花(猪俣南)が書いたという脚本で演じられる、戦争末期の長岡大空襲の舞台芝居。その制作の進行とともに、空襲で命を奪われた多くの人々の足跡や長岡の歴史が紐解かれていく。歴史は江戸時代の長岡藩から幕末の戊辰戦争による因縁にまで及ぶ。また、真珠湾攻撃を指揮した山本五十六が「開戦反対派」であったことや、その出身地であるがゆえに、長岡市が米軍の目の敵にされていたこと。更には、長岡市に「模擬原子爆弾」(実験として火薬が使用されるが、原子爆弾用としてプルトニウムを搭載し長崎に投下されたファットマン型爆弾)が落とされ、新潟市も原爆投下の候補地であったこと。近代詩人として影響力の大きかった堀口大学の生育地でもあり、その詩に「ビキニ環礁の水爆実験」を憂える内容のものがあること。そして東日本大震災の折には、福島の被災者を全国で最初に受け入れたことなどが綴ら折になって、芝居や取材の折々で明らかにされていく。まさに花火を起点として、長岡の、いや日本の現在・過去・未来を見通す戯曲として刺激的なストーリー展開をして行く。
画家・山下清が手掛けた作品として「長岡の花火」は有名だが、彼のことばに「世界中の爆弾が花火になればいい」といった趣旨のものがある。原爆の構造と花火の構造は類似している。ただ、人を大量に殺戮する非人道的な兵器であるか、人の心に温かさをもたらす人間的な“花”であるかという対極的な用途の違い。そこに「人間が為すこと」の恐ろしさが浮き彫りにされる。原発事故で福島の故郷を追われた人々を受け入れる意味。そして県内にある柏崎刈羽原発の存在。映画に織り込まれたメッセージ性は、観る者の意識によって、人間社会としての愚かさと温かさが表裏一体である微妙なラインで往還していることを示唆するようにも見える。
長岡の花火大会は、毎年8月1日。それは1945年に一夜で1480名の命が失われたB29飛来の大空襲の日でもある。その後、復興祭として慰霊の意味があるという。その白一色の尺玉3発には、鎮魂の祈りが込められている。もちろん戦争体験を未だに背負い、その花火を見ると、67年前を思い出すので花火を見ないという方もいる。だが、長岡が恒久平和への願いを込めて、世界へと発信し続ける象徴として花火が存続していることを忘れてはならない。昨年7月末には、洪水で花火大会の設備が直前にて大損害を受けたが、市民の努力により花火は打ち上げられるに至った。そして、大震災の被災地である石巻でも、更には12月8日には真珠湾でも、長岡の花火が打ち上げられた。自然災害であれ、人災であれ、人の命を奪う“火”の存在に、愚かな人間が自覚的になる為にも、「この空の花」である、花火によるメッセージが不可欠なのである。全国紙が無視するような、こうした長岡の活動から、今一度、平和とは何かを考えなければなるまい。
山古志村に今も生きる棚田の光景は、日本の原風景であると喧伝される。そこには、ただ風景が存在しているのではなく、「自分のことよりも、他人のことに気持ちを注ぐ」という日本人が、古来より持ち続けてきた精神が宿っている。僕自身、身近な母や祖母の行動を顧みても、「自分より子・孫」という気持ちが存分に感じられるのは、新潟という風土が産み出す精神的な特長に拠るのだろうか。敗戦後、米国の後ろ姿ばかりを追いかけてきた、日本社会の“過ち”を、もういい加減に修正してもいい時季を迎えているのではという、熱きメッセージをこの映画は語る。
福島―長岡―広島―長崎
このラインに、これからの日本が考えなければならない、隠された歴史がある。
無謀で無知な政治家諸氏にも、この映画を観て欲しい。
この映画から感じるものがない“人間”には、政治から退いてもらいたいほどだ。
東京での上映が、有楽町スバル座(6月8日迄)と立川シネマシティのみというのも淋しい。
こうした映画が、大きく話題にならない社会を憂える。
まさに、大林宣彦監督渾身の一作といえるのではないだろうか。
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