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自然統御のあり方

2012-05-29
朝日新聞夕刊「素粒子」欄に次のようにあった。

「暗闇でガスの恐怖と闘った消防隊。
海辺に原発、山々にトンネル。
自然をあまく見た安全軽視でまたも犠牲者。」

自然を統御しようとするのは、古代から人間の願望でもある。その時代時代に応じて、様々な技術が駆使され、自然の中で人間の意志を通すための工夫が為されてきた。ただ、それが「支配」なのか、「融合」なのかでかなり方向性や度合は違ってくるようにも思う。とりわけ日本文化の中では、その自然を「美」と捉えて生活の中に融合させようとして来た歴史がある。

日本史上初の勅撰和歌集『古今和歌集』を紐解けば、第1巻から6巻までに「四季」の和歌が配列されている。四季の巡航はどのようになされるのかという自然の摂理を、和歌という「ことば」によって捉え、その推移を理念として配列したわけである。そんな勅撰和歌集の存在によって、「自然を統御」する天皇が存在する国家としての姿を顕然とさせていたのだ。美しき「ことば」という文化によって、「自然を統御」を達成しようとする日本人のこころを覗き見ることができる。豊かなこころは、「ことば」を美しく磨き、また最重要視するのである。

それから約1100年の月日が経過した。その後も和歌の歴史には、日本人の豊かなこころが託されてきた。その後、室町期の連歌を経て、江戸時代の俳諧に至り、季語によって季節のあり方を一語で捉えようとする「自然統御の文化」を育んだ。多くの外国人研究者が、俳諧に魅せられるのも、そんな日本人のこころの歴史が集約された文学であるからだろう。


ところが、冒頭の新聞記述が記したように、現状の日本では「自然をあまく見る」行為ばかりが横行する。この文化が育んできた「自然統御の思想」をたやすく踏み躙り、自然の摂理に逆らって、有害物質を撒き散らしたり、穴をこじ開けたりしている。その過程で、かけがえのない人命が失われたり、生活場所を追われたり、人間の基本的生活に危険を及ぼしたりしている。あくまで尺度は、「対費用効果」にしか向けられない。この国土で生きてきた人々が育んできた「思想」に逆らう所業を、これほど繰り返していいものかと切実に考えたい。


このような憂いがあるからこそ、古典文学を学ぶのだ。
「自然を統御」する方向性を誤った、今の日本人のこころ。
いい加減に、この国土で生きる術を、先人の貴重なことばから学んでもいい頃である。
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