人とのつながりで見えて来るもの
2012-05-03
人とつながることの意味は何か?人間どう足掻いても一人では生きていけない。自分自身を知る為にも、人とのつながりは持つべきである。自己の中で考える独善的な基準に対して、どれほど異質な刺激を受けることができるか。その度合いによって、自分が客観視されて、その立ち位置や現況を初めて自覚することができる。そんな人間関係が持てる場が、いくつか必要であると常々思っている。地元のCafé、心和み癒される酒場。そんな場を提供してくれる店を経営する方々。その飲食店経営という立場を、自分の仕事と比較したりすると、また己の甘さを自覚したりもする。提供した料理への即断な客の評価。様々な要望を配慮なく告げるお客さんの存在に、腹を立てない寛容さ。混雑時に調理と給仕とのバランスを保ちながら、店を展開していく状況は、さながら「相撲の取り組み」のようだという。どこまで耐えて、どこで技を差し込むか、そして決して押し出されないように踏ん張り切るか。そんな迫真の勝負が毎日のように進行している。しかも相撲と決定的に違うのは、「笑顔」を絶やさずに行わなければならないこと。限られた「人力」を適切に丁寧にミスなく「切り盛り」するという、日々刹那の闘いがあることを思い知った。
孔子『論語』に「子曰、三人行、必有我師焉。(子曰はく、三人行けば、必ず我が師あり。)」とある。「三人で連れだって行く(一説に行動する)と、必ず自分の師とすべきものが発見できる。」といった意味だ。人間関係とは、利害を超えて自分を照らし出す鏡が持てることが肝要である。己の感覚のみを指標にして、その線に沿うか否かという傲慢な見方ではなく、周囲にいる方々との関係性から相手の立場を重んじてこそ、自らに刺激を享受することができる。そんな人とのつながりを大切にしなければならないはずだ。
1つの授業
=相撲の取り組み
=野球選手の一打席
=飲食店にて一人のお客さんへの対応
=プロ意識
GWにして、
僕が授業に取り組む姿勢を改めて問い直す“意志”が持てた夜。
人とのつながりへの感謝のうちに。
- 関連記事
-
- 間違ったっていいじゃないか (2012/08/21)
- めぐみちゃんと家族のメッセージ―横田滋写真展 (2012/08/06)
- 「声の力―文学の力」恩師を偲びて (2012/07/23)
- 見えない糸の不思議 (2012/07/13)
- 遺伝子の“物語的”解析 (2012/07/08)
- 地図と方向感覚 (2012/06/10)
- 社会人として大学院を受験した頃 (2012/06/06)
- 都会で自然とどう共存するか (2012/05/25)
- 一日一日を精一杯生きる (2012/05/04)
- 人とのつながりで見えて来るもの (2012/05/03)
- 生活の型を模索する (2012/04/17)
- ニュートラルを保つこと (2012/04/12)
- 老人の選択 (2012/03/09)
- 「実年齢×0.7」=人生方程式 (2012/01/23)
- 幸福の尺度 (2012/01/16)
スポンサーサイト
tag :