「日曜日」の時間意識とシラーの名言

2012-04-23
日曜日の夜ほど、日常において時間意識が高まる時も他にない。この1日が充実していたか?有意義なことはあったか?もっと色々とできることがあったのではないか?等々と脳裏を不毛な問い掛けが駆け巡る。かなり以前に、「サザエさん症候群」という規定が巷に流れたことがある。「サザエさん」の終わりの曲を聞くと、何とも言えない切迫感に襲われ、休日が終わることへの意識が高まり、心身に変調さえ起きる方もいるといったものだったであろうか。そこまで大仰ではないにしても、やはり“あの曲”はコミカルでありながら、昭和の時代から今に至るまで、日本人が休日から仕事・学校へと帰還する“号砲”になっているのは確かであると思う。「ほらー、ほーらあー、みんなの声がする♪」といった下りには、背筋にむず痒い感覚がよぎる方も多いのではないだろうか。


夜になってそんな日曜日のことを考えていると、友人である偉人研究家・真山知幸氏が、
Twitterにこんな名言を書き込んでいた。

「人間は明日の朝に対して、
何がしかの恐怖と希望と心配を持たずにはいられない。」(シラー)


ゲーテと並ぶ、ドイツ古典主義の代表である詩人・シラーのことばである。
以前にもこのシラーのことばに対しては、明確な時間意識が表現されていると感心し、
学生に紹介したことがあった。


「「時」の歩みは三重である
未来はためらいつつ近づき
現在は矢のように速く飛び去り
過去は永久に静かに立っている」(シラー)


まさに日曜日の夜の時間意識としてこれ以上ないことば。
月曜日の朝には、「恐怖と希望と心配」が充満しているであろうし、
日曜日という休日は、「矢のように速く飛び去り」、
過ごした休日の時間は、「永久に静かに立って」おり
日曜日の夜には、月曜日が「ためらいつつ近づいて」来る感覚に襲われる。

といった過去の偉人のことばに依存しながら、
僕たちは“今”を生きている“時間”を捕捉しようと足掻いている。
ただ時計が人間生活に不可欠なように、
ヒトだけに許された「時間意識」を持ちながら、
社会生活という中で規制された感覚に嵌まり込み、
7日間という周期で時間を制御しようとしつつ、
実は悠久の“時間”に振り回されたりしている。

それにしても、眼に見えない“時間”をことばにした名言の豊かさよ。
そのことばの力を意識することこそ、人間らしい生活であるともいえる。

ただただ効率主義的に“秒刻み分刻み”であるから豊かな生活であるとも限らない。
実は「時間」に対して「寛大」であることこそ、真の“豊かさ”であるのかもしれない。
それは「時間の奴隷」ではない、人間としての歩みであるから。

「矢のように速く飛び去り」行く「現在」を、
穏やかに堂々と生きていられることこそ、人間の器の大きさなのではないかなどと、
ふと考えたりもする。
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コメント:
とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!
[2014/01/04 11:47] | 伝わる履歴書 #- | [edit]












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