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「作法」の功罪

2012-04-15
「作法」ということばから想像できるものは何であろうか?
茶道・華道・武道などの伝統的技芸において、
守るべき法則というあたりがすぐに思いつきやすい。
また、「礼儀作法」という語があるように、
「社会・環境」の要請を受けた方法という面も重要だろう。
時候の挨拶が伴う手紙文などにおいても一定の「決まり事」があり、
文化的な背景を持つ言動という色彩が強い。

辞書で「作法」を引けば次のようにある。
「その社会で守ることが望まれる言語・動作の決まり。エチケット。」
(『新明解国語辞典』第6版)

「エチケット」という語彙からも窺えるように、「作法」には確固たる強制力があるわけではない。だが、ある社会的な範疇で「品性」を保つためには実に重要でもある。暗黙の中で尺度となり、「守ることが望まれる」・・・「守るべき」ものとして有効に機能する場合も多い。日本人が、歴史的にどんな困難な状況下においても「秩序」を重んじると世界的な観点で賞讃されるのは、この「作法」という概念が社会的に機能しているからといえるかもしれない。

また、一方で「作法」が強制され続けることで、「拘束」の中に埋没することもある。伝統的技芸では「型」を重んじるが、一定の発達段階でそこから解放されないと、個性的な技術向上を阻害する結果にもなる。個性は不要で「横並び」を良しとするという社会的風潮が、より「作法」を重んじて、稀少な個性を発揮しようとする存在を否定しかねない。「型」「作法」には功罪両面があることを心得るべきであろう。

Web上で「作法」というキーワードにより書籍検索を行うと、予想を上回る類の書籍を発見することができた。この現象を見るだけでも、日本人は「作法」好きといえる。その書籍検索の際に、筆頭に顔を出した書籍のタイトルには思わず笑ってしまった。「作法」の概念とは結びつくとも思えない語彙によりタイトルが『・・の作法』と構成されていたからだ。さすがは当該作家の感性だと感心しつつ、語彙使用において「作法」を越える個性を見る思いがした。ぜひみなさんもお試しあれ。


「作法」の功罪を十分に把握した上で、
新時代の日本的「作法」が求められている時代なのかもしれない。
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