fc2ブログ

偶然と必然の振幅

2012-04-11
世の中は限りなく「偶然」に満ちている。己の生物的な存在理由からして、多様な「偶然」の集積によって成り立っているのではないか。両親の出会い・更に時間的な遡及のうちなる先祖の歩み・居住生育環境・自己の接した社会環境・出会った人々の数々などと考えれば考える程、「偶然」ばかりによって成り立っているのだという思いに偏向する。

だが、そのどれもが実は「必然」なのではないかという“解釈”を人間は施すことができる。要は運命的だと感じるものが全て「偶然」に依存しているという受動的な思考に終始するのではなく、自らの動作があったからこそ発生した現象か否かという点は、冷静に見極めておきたいと感じることもある。その上で、更に出生の経緯などにも自分自身がいかに能動的な“意味づけ(解釈)”を与えられるかによって、その後の行動を大きく左右するように思うのである。

誤解を恐れずに言うならば、「偶然」は「必然」であり、「必然」は「偶然」でもある。その振幅の中で、どちらに接近するかを決するのは、各人の“解釈”以外の何ものでもない。往々にして良いことは「必然」と肯定的に捉え、好ましくないと思ったことは「偶然」の悪戯だと“解釈”することが多いのではないだろうか。その出来事によってもたらされた「感情」のあり方を尺度として、「必然」か「偶然」かが決するのである。換言すれば、前向きに行動的“解釈”を施せば「必然」となり、後退する悲観的“解釈”を施せば「偶然」となる可能性があるのだ。

世の中の現象を、“ことば”によって意味づけしてきた歴史そのものが、人間としての歩みでもある。その中で「AかBか」という二項対立のみでは捉えられない現象の方が、遥かに多く存在している。また即時的に「偶然」だと感じていたことが、時を経て「必然」だと“解釈”できるようになることもある。短絡的に「AかBか」と答えを出すことで、阻害されてしまう行動や感情が存在することも、人として知るべきであろう。


馴染みの店で、いま一番話をしていて前向きになれる友人と「偶然」に会った。
即座に、これは「必然」であるという前向きな“解釈”が施される。

はてまた、今すぐには“解釈”が施せない「偶然」と「必然」の振幅間を、
彷徨している出来事に人生は満ちているのである。
関連記事
スポンサーサイト



tag :
コメント:












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック:
トラックバック URL:

http://inspire2011.blog.fc2.com/tb.php/886-e8c27989

<< topページへこのページの先頭へ >>