fc2ブログ

会議とコミュニケーション

2012-04-08
会議が好きだと思っている方は、世間にどのくらいいるだろうか?「会議」といっても全てを一括りにはできないが、その種類や構成人員、扱う議題によっても積極的に参加するか、止むを得なく参加するかの差異が生じてくるだろう。概して、「会議」に対しては嫌悪感を抱く人が少なくないのは、どの分野の職業でも共通した“悩み”といってよいかもしれない。

議題に対して、様々な意見が提出される。その多様性を参加者がまずは受け止めるところに会議の原点があるように思う。日常から組織内で顔を会わせている面々であると、大概は先入観が固着し、意見の多様性を享受する点からして怪しいという事態になりかねない。自らが考えもしなかった意見を聴く為に会議はあるのだ、という“懐の余裕”を参加者は持つべきであろう。

しかしながら、特に日本人が行う会議は、提案者の一方的な報告会という色彩が強いように感じる。多様な意見を聴く場ではなく、一つの意見を押し付ける場になっていると換言してもよいだろう。ゆえに、報告者に対しての反論が提出されると、即座に報告内容を擁護する発言が始まる。一つの“答え”に向けて何とか参加者が合意した形を意図的に作る為の、実に不毛な時間が経過することになる。たぶん、こんなあたりに「会議」に対して嫌悪感を抱く原因があるのではないだろうか。

この形式は、日本における国語の授業のあり方を反映しているようにも思える。教材についての様々な捉え方があったとしても、唯一無二の“答え”に向けて授業の方向性は収束して行く。試験という評価方式を成立させるがために、主に指導者が用意した一つの“答え”が「正解」とされる。多様性のある意見は、提出されたとしても日の目を見ることは少ない。「正解」が重要なのではなく、どのように「思考」したかを問うことに注視して授業も試験も設定すべきなのであるが。だいたいにして「正解」の「正」という規定からして、その基準が何によるどんな思考であるかによって、実に危うい基盤の上に立っていることを自覚すべきである。


「コミュニケーション実践」を専門とする方々との会議に初めて参加させていただいた。進行役の方が、特に綿密な差配をせずとも、意見を提示する方々が他者に分かり易く、その場の議題に対して適切な発言を行う。参加者は、提出された意見をまずは尊重する。その上で、自分の思考との差異に関して明瞭にした上で、独自の意見を述べる。自らの意見を明確にするには、まずは相手の意見に対する敬意がなければならないのである。

「コミュニケーション」を〈教室〉で教える以上、自分たちが有効な意見交換をできる必要がある。この自明のことがなかなかできていない場合が多い。

机上の研究に偏っていた僕が、実践を中心として「コミュニケーション」を〈教室〉で展開している方々から学ぶことは計り知れない。

豊かな出逢いに、新たな胎動が聞こえ始める。

関連記事
スポンサーサイト



tag :
コメント:












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック:
トラックバック URL:

http://inspire2011.blog.fc2.com/tb.php/883-bf6fc07d

<< topページへこのページの先頭へ >>