シラバスと講義
2012-03-16
1月~3月にかけて、大学講義のシラバス作成期間が設定されている。大学によって登録・〆切の時期は違うが、次年度の講義を見据えてあれこれと思案する時を過ごす。秋学期の科目ともなると、実際の講義を行うまでに半年以上の時間があり、やや「机上の空論」といった感も否めない。講義そのものを考えれば考えるほど、“生もの”のように時間と共に変化するのが必然であるからだ。それにしてもこの20年ぐらいの間に、「シラバス」という制度が大変整って来たのだと改めて思う。僕が大学学部時代には「講義要項」と呼ぶ冊子があって、そこに各講義の概要が記されていた。それでも詳細な説明があるのは稀で、ほんの数行か長くても20行ぐらいの文章で説明されていたと記憶する。その僅かな情報をもとに講義履修を登録するのだから、自ずと「予想外」という講義内容に出くわすこともあった。初回の講義に出席して、登録するか否かを決めるという判断をすることが大変貴重であった。もちろん友人関係を通じた口コミ情報は、昔も今も大きな判断材料のようであるが。
事前に曖昧な情報しかない過去の大学講義を思い出すと、中には“名講義”と呼ぶべき卓越した内容も多かった。名物教授の名物講義には、学生の思考を変革させる力があった。講義とは関係のない余談の中にも、考えたくなるヒントが山積であった。中には、教授同士がお互いを批判する内容を披歴し合って、双方の講義に出席するのが楽しかった思い出もある。システム化され教務的管理からは程遠いような破天荒な講義が、学生の学問的好奇心を根底から揺さぶっていた印象がある。
整ったシラバスを提示したら、そこからむしろ講義構想の練磨が始まる。いわずもがな「有言実行」の“現実の講義”を実践しなければならない。提示した“ことばの写真”と現実に齟齬があるようでは、履修を決めた学生に対して申し訳が立たない。「到達目標」「評価」と詳細に記すように年々その緻密さが増すのであるが、だからこそライブ講義の真価も問われていることを肝に銘じたい。
次年度の内容的な指針は整った。
ここから更にライブ性豊かな「ことば」「仕掛け」「刺激」を盛り込めるか。
そこに予定外の化学反応が生じることを期待しながら。
〈教室〉にいる“生身”の学生たちとの出会いが今から楽しみである。
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