注文のことばが危ない
2012-03-08
英会話でまずは覚えたいのが、レストランなどでの注文のやりとりだ。英語圏への旅行の際に、どうしても避けては通れず、しかも大きな楽しみであるのが食事だからである。僕はよくアメリカに行くが、そこにはチップという文化があり、店員がそのテーブルの客にどれだけサービスするかという点が、彼らにとってチップ増減の鍵になる。それゆえに、サービスという意志でかなり面倒見がよく、日本人の感覚で行くと五月蠅いぐらいに感じられることが多々ある。彼らの収入という“意欲”に依存しながらも、確実にことばによるコミュニケーションが必須なのである。最近、日本の飲食店での光景を見ていると唖然とすることが多い。“注文のことば”を発しない輩が多いことに驚かされるからだ。店員さんが注文を聞くと、メニューの該当箇所を指さし、更に焼き方やホットかアイスなどの好みを聞いても、肯くか首を振るかのみで対応している客が増えたということだ。これはたぶんファーストフードなどにおいて、定型のメニューを店員がマニュアル通りに注文を取り、メニュー表示を指させば簡易に注文が済まされることにも一因があるだろう。それにしてもファーストフードはアメリカにもあり、そこへ行けば少々はことばのコミュニケーションを必要とするので、一概にそれを“犯人”と特定するのも、早計に過ぎると言わざるを得ない。
やはりこれは日本社会が抱える大きな過ちの道筋にあるものと考えた方が、まずはよさそうだ。政治・職場・家庭・地域社会から大切な“ことば”が消失し始めている。政治家は空虚で説得力のない官僚ことばの原稿を棒読みする。仕事上で実務的なことばのみが行き交い添えことばの思い遣りが消える。家庭でも各自がそれぞれの世界に没入しことばを交し合わない。ましてや地域社会に住む人々の間でことばが行き交うことは稀だ。そうした様々な局面が日常的になったとき、社会からことばが消えていく。ましてや食欲を満たすためだけに“ことば”など不要だという極めて危険な感覚が生まれる。
文章として語ると、やや極端でもあり全ての人々がその傾向に及んでいるわけでもないだろう。だが、こうしたことは無自覚に社会で施してしまっている場合が多い。少なくとも飲食店に行くと、その店の「人」から食べ物を提供してもらうという社会性があるはずだ。だが、「人」ではなく「サービス」という概念を過大に思い描き、自分は「金」を払う絶対的な立場だと勘違いをしたとき、その社会性は崩壊する。「金」は払うという絶対権力者的な過信が、“ことば”を失わせ、過剰な攻撃的抑圧を飲食店に掛けたりするケースも目立つ気がする。
注文の“ことば”を大切にしよう
そこに一言でも添えることばがあれば、
人は何倍も何百倍も気分よく食事が楽しめる。
食事を楽しもうという気品にも逆らう行為
社会から最低限の“ことば”を消去させてはならない。
深刻な危機感をもってこんなことを考える昨今である。
- 関連記事
-
- 自己主張の受け止め方 (2012/06/07)
- マイクを通した「届く声」の自覚 (2012/05/28)
- 相手の眼を見てしっかり聴きます (2012/05/10)
- 禁じられた声―パート2 (2012/04/28)
- 自己紹介の味付け (2012/04/14)
- 会議とコミュニケーション (2012/04/08)
- 物真似注目度でコミュニケーション (2012/04/03)
- 注文のことばが危ない (2012/03/08)
- 声の記憶 (2012/02/29)
- 医師との意思疎通 (2012/02/17)
- 「コミュニケーション」を捉え直す (2012/02/11)
- SNS情報送受信を考える (2012/01/27)
- スルー・無表情・全能感 (2012/01/14)
- カラオケという装置 (2011/12/15)
- 書簡・Email・Skype・電話 (2011/11/10)
スポンサーサイト
tag :