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声の記憶

2012-02-29
 記憶の構成要素とは何かと考えてみる。もちろん数値的なものとか単語レベルの記憶というのは実にわかりやすい。僕たち日本人が幼少の頃から学んでくる一字一字の漢字などは、丹念に記憶しなければ定着しない最たるものであろう。このあたりの言語環境の影響もあってか、日本の教育は単発的な知識記憶を詰め込むことに重点が置かれてきたともいえそうだ。そうした数値・単語ではなく“印象”などを記憶する場合に、あなたはどんな要素を主にしているだろうか?

 初めて会った人の印象を記憶する場合、やはり背格好・顔立ち・髪型・服装などが要点となるのが一般的だ。例えば、目撃証言などではこうした要素が提供されて捜査の手掛かりとなるのが通例であろう。だが、服装は着替えさえすればすぐに変化してしまう。髪型も切りさえすれば極端に変化する。最近では顔立ちさえ変える逃走犯もいる。背格好も肥瘠の調整は可能かもしれない。

 そんな中で、あまり記憶に刻まれにくいのが「声」ではないだろうか。初対面の人の「声」を記憶しているかどうかは疑わしい場合が多いように思われる。最近、初対面ならずとも、なかなか「声」の記憶が定まらない人がいるという実感がある。〈教室〉などにおいて授業回数をくり返しても、なかなか「声」がわからない学生がいるという印象である。比較的、コミュニケーションを重視した授業を心掛けていてもこのような状況であるから、ましてや講義一辺倒の授業などでは、学生の印象も見た目のみということになるだろう。その場合に、名前と顔が一致する度合は極端に低いと言わざるを得ない。講義内での質問などにおける発言があり、その内容と相俟って「声」を知った時、かなり鮮明な記憶としてその学生が刻まれることになる。

 すると、やはり対人関係の印象として、実は「声」が重大な要素であることも想定できる。その人が何を語っていたかを記憶するには、脳裏の中でその「声」が想像できて蘇るというのが理想的である。「声」が印象深く刻まれれば刻まれているほど、その人に対する記憶も濃度が高いといえそうだ。
 逆にメールなどの文章を読むときに、相手の「声」が想定できるのとできないのでは、読む際の感慨が違う。文字は「声」によって、より高度の感情表現に昇華する可能性があるのだ。文字が大量に溢れる時代であるが、その中で「声」の響きを大切にするのは、実は人間性を回復する大きな要因かもしれない。


声の記憶を大切にしたい
改めてその人の声を聞いた時、持っていた印象と同じであることの悦び
コミュニケーションの深度は声の交流が担っている
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