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2012東京獺祭の会

2012-02-20
 日本酒というと母の故郷が新潟なので、どうしても雪国越後の銘酒を選んでいた。新潟でいくつかの酒蔵を見学したことがあるが、冬季には積雪数メートルが蔵を囲み、その天然冷蔵によって美味しい酒ができると聞いた。そんな環境と米の美味しさの相乗効果で新潟の酒を限定的に好んでいた。ところが、ある時「獺祭」を飲むと、直感的に日本酒の革命だと感じた。その爽やかな飲み口に一目惚れして、もう幾年月かが経過する。

この日は、初めて「東京獺祭の会」に参加した。以前に、参議院議員でジャーナリストの有田芳生さんに、「獺祭」は美味しいですねという話をした折、このような催しがあると教わった。今回も有田さんのTweetを契機にこの会を予約した。当の有田さんは、金曜日夜の初日に参加したようだ。それにしても、酒の味わいを知る会とはどのようなものかと、好奇心に火が付き、ワクワクしながら会場に足を運んだ。

永田町の都市センターホテルの大広間。総勢400名が一堂に会した。金土日と3日間の開催なので総計約1200名の方々がこの山口の銘酒を味わったという。社長の挨拶では、昨年3月以降、毎月売上の1%を東日本大震災の被災地に寄付したことが紹介された。その額は1700万円にのぼるという。小さな酒蔵が1%の寄付は冒険だと社長は語っていたが、世間で「東北の酒を飲もう」キャンペーンが巻き起こる中、山口の酒蔵がこの寄付に取り組んで来た心意気は見事だと思う。西国の「獺祭」を飲めば、東北が支援できるのである。

その後、北米マーケティング広報担当の、アンリ・シュロフさんの音頭で乾杯。いよいよ銘酒を味わう時間となった。立食形式のテーブルには、基本的銘柄の「純米大吟醸50」が置かれていた。まずはこれで乾杯。その後は、会場の両サイドに様々な銘柄の酒が置かれている。3日間の催しに約1200本もの瓶を搬入したという。僕は以前から、「発泡にごり」が好みで、その中にも「50」と「磨き三割九分」「聖夜限定」の三種があることを改めて知った。その他にも、「遠心分離シリーズ」の「磨き二割三分」「おりがらみ」など、精米歩合が数字で示されたものが大半である。中でも、「純米大吟醸 磨き二割三分」が、「獺祭」中の「獺祭」であるという。各自に配布された盃と小グラスで、多くの種類を楽しんだ。

もちろん立食形式ゆえ、料理もたくさん用意されていたが、この場に及んで料理を取る列に並ぶのも粋ではないと思い、暫くは多彩な銘酒の味を堪能した。おかげで小腹が減った折には、ほとんど料理はなくなっていたが、僅かな惣菜とおそばをいただいた。

会も後半になり、会場を巡り歩き逆側の酒配布場所に行くと、乾杯の音頭をとったアンリ・シュロフさんと出会った。彼女はLA在住、アメリカで「獺祭」を広報しているという。「僕もよくアメリカに行くので」と話すと、「今度ロスかラスベガスで「獺祭」を飲みましょう」と誘われた。彼女もワインのような飲み口はどんな料理にも合うのでと、この酒に惚れ込んでいる様子。また一つ、アメリカに行く別な楽しみが増えた。来年はWBC(野球国別対抗戦)の開催年でもあるので、ぜひ西海岸で「獺祭」という“縁”を実現させてみたいものだ。

そのアンリさんの紹介で、社長や専務とも名刺交換ができた。専務とは出身大学が同じであるという縁もあった。蔵元の方々と、このような人間的関係が結べるというのは、実に新たな酒の飲み方だと、酔い加減と相俟って気分も上々になった。

「酔うため売るための酒でなく
味わうための酒を求めて」
これが旭酒造株式会社のモットーである。


蔵元は山口県岩国市周東町「獺越」という住所にある。
その「獺」をとり、中国故事にある「獺祭」と名付けられたという。
故事に拠れば、「獺」は魚を取ると岸に並べて「祭」のように見えることから。
そして派生的に「詩文を作る時に多くの資料を並べ広げる」という意味もある。
かの正岡子規も「獺祭書屋主人」と号していた。


中国故事や子規にも関連するこの名にし負う銘酒。
自らが知らなかった新たな世界の扉を開いた気分で帰宅。
ただ、空きっ腹の酩酊具合も結構なハイレベルであったかもしれない。
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