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上野の森で妄想―故郷とは

2009-12-17
16日(水)自宅でできる仕事を抱えつつ、ややゆっくり寝た。新たな視点で穏やかな気持ちで、着地点を探している。妄想の方が拡大し、家にいても落ち着かないので上野の森へ。「王朝の和歌守展」の会期が20日までであり、展示替えした後期をまだ観ていなかったからだ。上野広小路から上野公園方面へ歩く。やはり上野は幼少のころから足を運んだ街。様々に思い出がよみがえる。公園内に入ると無性に音楽が聴きたくなった。冬に不忍池と来れば、過去のある想い出が脳裏を駆け抜けることに起因する。Heart の「Secret」や Aerosmithの「 I don’t want to miss a thing」を選択して、イヤホンから流れる曲と周囲の光景との交響を楽しんだ。自分が一番苦しい時であっても、もはや想い出といえる。目頭がやや潤むが、もはや感傷的にはならない。前向きに進んだ結果の今があるからだ。

 平日とはいえ和歌守展は混雑していた。前期を観に来た時に購入した図録により、後期の狙い目を絞っていたので、けっこう効率よく鑑賞することができた。私家集資料のうち、開かれたページに自分が論文に書いたことのある和歌を発見すると、じっくりとその文字を追う。 次第に藤原定家の考えていたことや呼吸が少し理解できたような気になってくる。やはり手筆というのは、そういう意味で貴重である。今後は、このブログ文章のように、デジタル情報が氾濫する世の中になっているが、未来の人々へこの意思は伝わっていくのだろうかと疑わしくなる。手で書く文字を見直すべきかもしれない。文字が藝術である国の住人として。

 上野から近いので両親の家に立ち寄る。生まれ育った街が最近、新たな道路を敷設し街並みに大きな変化があった。故郷が失われていくというのはこういうことなのか。両親としばし話した。今のこと将来のこと。おかしなもので、母と父の意見が正反対である。それは考えてみると、今の自分が往還している精神状態を、あたかも2人の人間が役者のように代弁しているかのようであった。思わぬところでこの2人のDNAを受け継いでいるのだと実感する。これこそ永遠に変わらない故郷ではないのか。

 近所のうなぎ屋へ出向いて食事。隣には老年の母を連れた一人息子風の2人。反対側には二世代親子夫婦の4人。この辺りでは有名なうな重に舌鼓を打つ。食後に、近くのコーヒーショップへ。最近アルコールを飲まなくなった母が注文した「カシスレモネード」なる飲み物に、実は少量のアルコールが入っていて、「体が熱くなってきた」とか一騒動。昔は酒豪でならした母も、変われば変わるものだ。

 帰宅してジムへ。受付のおにいさんが「寒いですね」と一言。「ここで温まって行きますよ」と返答し、言葉通りにサウナのみ。十分時間をかけてスチームサウナで温まる。その後、家でいくつかメール。やはりメールでの対話により、心が動かされ支えられていることも多い。就寝間際に携帯に返信をもらい、また心が支えられる。
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