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医師との意思疎通

2012-02-17
医師に診察を受けたとき、どの程度の関わり方をしていますか?

疑問点があれば質問し、納得いくまで症状等を訊こうとするか?
それとも、医師主動の説明のみでわかった気になり不安を残し続けるか?

こんな点で、心が揺れた方も多いのではないだろうか。


NHK「ブラタモリ」を視た流れで、通常では視ていない爆笑問題が最前線の学者に迫る「爆問学問」に興味が惹かれた。この日に出演していた学者は、外科医の南淵明宏氏だ。彼は心臓外科医で、年間200回ほどものバイパス手術などのオペをこなす名医である。心臓を動かしたまま、精密な血管縫合手術において拡大鏡を使用し細さ「0.05ミリ」の糸を巧みに操り成功させる。まさに人の命を繋ぐことを職業としている。そのオペ技術の高さもさることながら、医師としての姿勢においても現代的先端思考を持っている方だと感心した。

南淵氏は「今までの医療現場では、医師も患者もそれぞれの役割を演じる劇場空間であった。」という。いわば建前のみが横行する仮面を被った者同士のコミュニケーションしか存在しないケースが多かったということだろう。彼は、若い時から海外での医療経験を積み、そこでは既存の名誉・実績ではなく「腕」のみで勝負しなければならず、患者への説明等も徹底して行わなければならない環境だったと振り返る。医療現場においても、日本では「旧弊」が多数存在することを、南淵氏のことばから学んだ。

そんな番組の中で、
太田光さんがあの独特な口調でこう突っ込んだ。
「患者側のコミュニケーション能力も問われているということですね。」
南淵氏も
「そう。病気の知識が深い患者さんの方がいいと思います。」
と応じた。

確かにそうだ。医療に関わる際に受動的であるべきという思考自体が、日本的「旧弊」なのである。過去においては、癌の診断を本人には告げないとか、手術内容を確かめず医師の言うがままに受けてしまうケースが多々あったと予想される。実際に僕の経験の中でも、医師の姿勢として“コミュニケーション不全”による不安を感じたケースが少なくない。

家族がヘルニアになってしまった時、入院するなり「切りましょう」ということばを一方的に連発する医師。身体に負担がかかる造影剤検査を執拗に勧め、その結果、何がどのように判明するのかもよく説明しない。その上で、更に手術ありきで話を進める。この時、僕たち家族は、徹底した説明を求め手術や造影剤検査のリスクを問い質した。それでも納得する説明が得られなかったので、医師の交替を求めた。最終的に、僕たちが選択した「保存治療」の方針で、安静状態を維持し続けることにより、家族はほぼ元通りの身体に蘇った。果たしてあの時、受身な姿勢で手術をしていたらと考えると、今でも甚だしく恐怖さえ感じる。

また、家族が耳の痛みを訴えて耳鼻科に診察に行ったときのこと。医師は問診もろくにせず、検温もさせずいい加減に外耳炎と決めつけて、薬の付いた棒を耳の中に挿入し始めた。家族本人が不信を感じ「何の治療をしているのですか?」と問い質した。すると医師は変に逆上して「訴えるなら訴えてもいい」などと興奮し始めた。付き添いの僕も遅ればせながら加勢し、「検温や問診もしていないじゃないか」と問い詰めると、「だいたい何でお前が口を出すのだ」というようなことばを返された。家族の治療に関して問い質すのは必然的な行為ではないだろうか。むしろ無関心なほうが、問題が多いというのが正常な感覚である筈だ。このようなコミュニケーション能力以前に、人間として問題がある医師も街には存在する。

だからこそ、太田さんのいう「患者側のコミュニケーション能力」が問われているのだ。

そしてもちろん、医師側も大学時代から医療内容を学ぶと同時に、コミュニケーション能力を十分に習得すべきであると思う。患者の命を預かるという使命を負うのは並々ならぬことだと想像できるが、だからこそ人間が人間として意思表示し相手の意思を受け止め、相互に医療内容の「意味づけ」を共有する行為が必須であると痛感する。僕の両親の世代であると、「医師に対して逆らうと、ぞんざいに扱われる。」という強迫観念が先行している節がある。たぶん実際にそういう医師が多数存在した世相を反映しているのかもしれない。(もちろん前述した無法極まりない街の耳鼻科で僕自身も目の当りにしているが)それゆえに、冒頭に書いた南淵氏が語っていたように、医療という命賭けの取引を建前のみで「劇場空間で演じ合う」関係になってしまうケースが多々見られたのだ。

ここで僕は宣言しておこう。
意思疎通のない仮面を被ったコミュニケーション能力のない医師の診療は受けない。

決して過酷な勤務を強いられる医師を批判しているのではない。
患者としてコミュニケーション能力を具え納得して診療を受ける方が、
医師においても精神的技術的において健全な診療が行えるということだ。
少なくとも医療技術が高い南淵氏のような医師ほど
こうした患者を歓迎している。

こうして医療現場でも、“空気”を読み“建前”で行動し、
真実を隠蔽する「習慣」を、日本社会は存分に身に付けて来たのだ。

3.11以後において噴出している様々な「不信感」は、
それ以前から巷に沈殿していたこうした「旧弊」に由来するということを、
日本社会は考えるべきであると思う。

だからこそ、
患者としての
一市民として個々人の
コミュニケーション能力が問われている。

疑問があったら問い質そう!

ただ、それが攻撃という野蛮な行為に陥らないための、
冷静さと知性が必須であることを念頭に。
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