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国立演芸場2月中席「鹿芝居・芝浜革財布」

2012-02-13
お開きには出演者一同が舞台上に勢揃いし、手拭を観客席に向かって投げた。ベテラン噺家ほど平板に折られた手拭を遠くまで飛ばすのに慣れているようでもあった。後ろから3列目に座っていた僕をめがけて、やや回転した手拭が飛来して左腕上でピタッと着地し静止した。左隣に座る男性客も視線を手拭に向けるが、自分の右腕があまりにすぐ脇なので微動だにできず、悠々とその手拭を獲得することができた。のし紙には「寿」の文字。きっと何らかの吉兆ではと、心が春へと躍動した。

国立演芸場2月中席は、金原亭馬生一門とその関連の噺家による定席。僕が落語指南を受けている馬治さんも出演する。前座に続いて、最初が馬治さんの一席。両親の行動を観察して双方から小遣いを上手くせびる子供の姿態がよく描かれていた。その後も、金原亭世之介・古今亭菊春・蝶花亭馬楽・林家正雀らの各氏。もちろん一席のトリは十一代目金原亭馬生師匠。出演者が、各自各様で個性的なネタを披露し、古典落語の奥深さを堪能できた。特に馬生師匠の「音曲噺」は、流石と聴衆を唸らせる秀逸さであった。

さて、この2月中席の目玉は大喜利「鹿芝居」である。「鹿芝居」とは、「噺家芝居=はなしかしばい」から「はな」がとれて「しかしばい」という洒落。落語家が噺をもとに、その内容を演じるものである。この日の演目は「芝浜革財布」。人情噺の代表格がどのように演じられるか興味津々であった。芝居のマクラは、脇役出演者たちによる「長屋の花見」の様子の再現。そこで「魚屋政五郎さんはどうしたっ?」と、芝浜の主人公を呼び起こして芝居は本題に入る。

それにしても、既に落語として知っている噺が舞台上で演じられるというのは、何とも不思議なものである。時折、噺の中にも出てくる台詞が飛び出してきて、ハッとさせられたりもする。通常は一人で演じ分けている人物同士が、会話をしながら噺が進行して行くのは、何とも滑稽で粋な芝居である。自分の頭の中にある噺の観念を、舞台上で演じられ可視化されている芝居と引き比べて、それを摺り合わせる作業をしながらの舞台鑑賞は、古典芸能ならではの奥行が感じられて妙な感慨に耽った。

お仲入り前には、世之介さん・菊春さんによる獅子舞の披露。客席通路を前から後ろまで獅子が乱舞し、僕も頭の隅を獅子にかじられた。これは幸運を呼び込むならわし。今では正月の街に失われた光景が、演芸場で蘇り旧暦新春の雰囲気を醸し出していた。

正直なところ、帰宅して放映されていた「笑点」の大喜利が安っぽく思えてしまうほどの、由緒正しき落語の正道を感じさせる興行。

自分で一席を行う際も、舞台上の芝居のごとく頭の中で映像を創作し、それを聴衆に伝えれば臨場感が溢れる噺になるのではという気付きを伴い、大満足の落語鑑賞であった。


手拭の偶然の飛来に吉兆を感じ、興奮冷めやらぬ春近き宵のうちとなった。


20日(月)まで、半蔵門の国立演芸場にて。
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