Intonation:Statement Pattern
2012-01-20
この日の英会話教室は、英文を発話する際のイントネーションについて、かなりの時間を費やした。日本人の発話する英語は、いたって平板であることが多い。声の抑揚・音調・語調をあまりつけず、平らな発話を続ける。一般的に言われるように、これは日本語の言語的特徴に由来するものということもできよう。国連などにおける政治家の演説であっても、同じ日本人から聴いていても平板な印象が拭えない。(ましてや日本語でしか演説しない政治家など問題外だが。)2つの話し方類型
ピッチ3
ピッチ2
ピッチ1
(例文)I’m glad to meet you.
ピッチ3
ピッチ2
ピッチ1
(例文)It’s hard to explain.
上の表記ではわかりにくいかもしれないが、この2類型の練習を短い例文に従い、講師の後について発話し続けた。もちろん例文によっては一定のピッチが長かったり短かったりする。例文の上には傍線でピッチの変化が示されているので、語調の変化を可視化しながら発音することができる。何より講師の語調を真似る、いわばシャドーイングの効果が高いことを実感できた。語学は模倣からという所以であろう。
日本語においても、語調がない訳ではない。我々は無意識に日常生活の中で、語調を付けて発話している筈だ。だが、英語等の外国語を発話すると平板になるのはなぜだろうか?
この英語のシャドーイングをしていて気付いたのは、日本の学校教育における〈教室〉での「読み方」が、実に平板であるということである。例えば、中学校や高校時代の国語の時間に、指名された級友が教科書を音読した時のことを思い出していただきたい。実に平板に、表現を変えればこれ以上をないくらいに頽廃的に、最大限の無機質な語調で、教科書を読んでいたという印象がないだろうか。もちろん自分自身が指名されて、声に出して読まされた時のことを思い浮かべてもいい。ましてや、英語の時間であっても先生によっては、平板なリーディングを許容していた。というより先生自身が至って平板であったというのが小生の印象である。
こうした平板極まりない読み方を、〈教室〉特有の「教科書読み」と規定しよう。
どんなに名作小説の緊迫した場面であっても、〈教室〉では頽廃的な「教科書読み」が横行する。
人間は正直ゆえに、その読み方を無意識に身体化する。
知らず知らずのうちに、発話が「無表情化」する。
英語教育ではなく、まずは国語教育に大きな問題があるのだ。
英語を学びつつ、日本の国語教育の問題を発見する。
英会話を学びながら、週末の研究発表に更なる味付けが加わった。
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