歴史との接点―「ゼロの焦点」を観た
2009-12-14
13日(日)予定よりはゆっくり寝た。筋肉疲労と寒さがやや起床を遅らせているような気もする。起きてしばしwebに向かう。今日は、映画を観に行こうかと思っていたので、劇場のサイトを検索。どうやらチケットが予約できるらしいので、そのまま座席を指定して購入した。これで、焦って窓口に並ぶ必要なし。前の方になって首の痛みに悩むこともない。銀座へ出てまずはカフェを探す。例によって宝くじ売り場が長蛇の列。ちょうどそのど真ん中に近い地下鉄口から地上に出たので、なおさら気になった。気になったというのは、並びたいという衝動とは正反対で、なぜこの銀座で寒い中並んで、お金をかけて当たらないくじを買うのだろうかということ。非常に小さな小さな確率めがけて、人々は夢のために街頭に並ぶ。同じ夢ならば、自己変革の夢を現実との接点で追い続けたいものだ。
映画は日劇で「ゼロの焦点」。ある方がブログの中で、「広末涼子の演技が一皮むけた」と評していたので気になっていた。映画の冒頭が銀座の光景から始まるので、まずは自己の今存在する「平成21年の銀座」と「昭和32年の銀座」との精神的な対比から揺さぶられつつ、松本清張のミステリーの世界に引き込まれていった。確かにナレーションを含めて主人公を語り出す広末の演技は、なかなかだった。何も知らない令嬢が、夫の失踪を契機に、男と女の性(さが)や歴史に翻弄された人物を知り、自分との接点に目覚める物語。昭和30年代前半が、未だ戦争の傷跡が深いということや、自己という人間が過去の歴史と、知らないところで繋がっていくという思いを新たにした。そして、新しい時代に「生まれ変わりたい」という願望を、命がけで叶える登場人物たち。ミステリー原作のために、殺人が相次ぐ展開となるが、その中で小さな願望を叶えようとする人間の欲望が顔を覗かせる。「生まれ変わりたい」という願いを、社会に拘束されることなく抱き続けることができるのは、平成の世の中だからなのだろうか。映画の時代は、日本初の女性市長が、嫌がらせや抵抗に立ち向かいながら生まれていく過程を、同時進行的に描いていく。女性は女性、過去は過去という、ようやく自由な時代になったのは、意外とそんなに昔ではないのかもしれない。
帰宅して予定外だがジムへ。サウナで身体をほぐす。帰路に買い物をしてカレー作り。継続的に作り続けているわけではないが、またまた一定の量が蓄積された。
食後は、「坂の上の雲」第3回目で「国家鳴動」。正岡子規が喀血をして、自分の人生が長くないことを悟り、俳句の道に一生を捧げようと決意する。また日清戦争への胎動が忍び寄る時代。急速に近代化した日本が歩んでいく中で、開化期における人々の生き様が焙り出されていく。番組を観てから、ついつい『もういちど読む 山川 日本史』で明治維新から日露戦争までを「復習」。明治との接点を改めて考える。
歴史は、どこかで自分自身との接点があり繋がっているはず。第二次世界大戦と昭和30年代、そして明治維新とその後の近代日本。二つの映像を観て、歴史との接点を、より深く考えておきたいという衝動に駆り立てられた。まさに「今の時代、今の自分」を考えるために。
妹弟とのメールのやりとりをしてから就寝。映像により「歴史という時間意識」を開化させた一日であった。
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