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「祈り」というメタ認知

2012-01-13
 久し振りに“あの音”が鳴り響いた。携帯の「緊急地震速報」の警告音である。やや柔らかいものを握り潰したような独特な響きは、スマホとガラケーの双方から同時に交響しつつ心に突き刺さるように到達した。「茨城県沖を震源とする地震・強い揺れにご注意ください」と表示された画面を確認し、退避を想定しながら状況を窺った。幸い、東京での揺れは「強い」といえるほどのものではなかった。されどTV報道などを視ると、福島県沖を震源とし「浜通り震度4」という表示。果たして“福島第一”は大丈夫なのかという懸念が拡がる。特に使用済核燃料が大量に保管されている上に、建屋の損傷が激しいままになっている4号機がどのようになったかについては、より正確な情報が知りたいという思いが募る。しかし、TV報道はどの局も速報表示のみで通常の番組を継続した。
このように「強い揺れ」への不安と同時に、常に懸念する材料が「原発」である。東北太平洋沖に限らず、地震の活動期に入ったという日本列島。「揺れ」や「津波」への恐怖もさることながら、全国の海浜に点在する「原発」が無事であるかどうかということこそ、何よりの不安材料である。あの3.11から10カ月が経過した今、この間に悩まされ続けていることが、やはり「原発」に由来することを改めて自覚するのである。


内田樹氏と名越康文氏に聞き手の橋口いくよ氏を加えた対談集『原発と祈り』(メディアファクトリー刊)を、この夜一気に読了した。雑誌『ダ・ヴィンチ』の「価値観再生道場 これなんぼや?」という連載を纏めた単行本である。本の帯にあるように、「震災後の日本で生きるための心構えとは?」という内容で、キーワードになるのが「祈り」。「荒ぶる神の火を鎮めるには、ちゃんとした鎮魂、「原発供養」が必要。[内田樹]」という趣旨である。このあたりは内田氏が震災以後、盛んにTwitterやブログに書いていた内容でもある。そこに精神科医の名越氏が、独特な洞察で人間心理の彩に深く斬り込んでいる対談となっている。

「原発」の存在を、映画「ゴジラ」(1954年)に置き換えるという発想。映画内で放射能怪獣“ゴジラ”は、高校生が唄う鎮魂歌による「祈り」で海の中で静止する。その構造を「原発」に当てはめると、「四十年も働き続けて、電力をくれた原発への感謝と祈りが日本人には足りないのかも。」(橋口氏談)ということにもなる。本書で、「祈り」とは「メタ認知」と同等に考えられていて、「超越的な意志というか、この世界全体に意味と秩序をもたらしている「何か」が存在するということを前提にしていって、その「何か」まで一回擬似的に自分を上げていく」(同書63頁)として、「上空から一望俯瞰する」のだと内田氏はいうのである。こうした点に「価値観再生」の極意が潜んでいるように読める。

また、「怒っちゃダメ」という内田氏の警鐘は、「呪詛の言葉」が確実に機能してしまうという点を指摘している。抗議等における「怒」と書いたプラカードなどを例に、「人を呪詛すれば破滅するのは自分。」だと指摘。怒っている状態というのは、「非能率的な時間を過ご」すもので、「環境適応」とか「進化」はできないという価値観を呈する。その延長線上で、放射能に対して「生体機能を変えていく」という意味で身体が「進化」するという指摘は、やや発想が観念的であり科学的だとは言い難く、誤解を招くといわざるを得ない。だが、内田氏自身が引越を頻繁に行い、自分の周辺環境を素朴に“進化”させているというライフスタイルを採っているという話を読むと、その「進化」に多様な可能性を否定しない柔軟性と幅広い視野があることも理解できる。

後半で「ポスト3.11とマスメディア」を皮切りに展開する、「第7章 ショッカー化する人々」での洞察は面白い。「投げっぱなし」で「罵詈雑言」の氾濫するTwitterにおける言論について、「たまたま自分が誰かに聞いた話でも、「こうなんだってよ」って自分が一度口に出して言ったら、もうそれは事実として自分の中に入り込んできちゃう。」という危険性があるとする。その上で、自分の知らない知識は全部スルーするという現象が若年層を中心に見られ、無表情な人々が増えたことを述べる。そして「問わない人」「考えたくない人」たちを、首領の意のままに戦闘行動をする(仮面ライダーの)「ショッカー」に擬えている。その行動は、「ちゃんと黙って人の話を聞いて、整列しなさいって言われたら整列」するという「学校の先生が教えること」を「イーッ!」といって皆で行うような「お利口でお手本な行動」だという指摘である。むしろ「ショッカー」という集団から“不良”として自ら離脱し、その集団に異議を唱えて闘う「仮面ライダー」の方が、「大人の言うことって矛盾だらけだよね?」と訴えたら聞いてくれる存在であるという発想を提示している。「思考停止」をすることで「防衛機制」に陥ることの指摘や、「体制側であるという自覚がないまま」に「有益な批判者」であると思っている者への指摘は、自己の様々な言論思考を省察するという観点で、刺激的な内容とも言えるだろう。

最後に、「今を生きるための心構え」では、「毎朝、出かける時に、今あるものを捨てて出ようみたいなシミュレーションをしないといけない」という名越氏の談が印象的である。その上で、「今を楽しむのに必要な心構え」では、「いつでも楽しいことがあるたびに「これが最後かもしれない」って思う習慣を持つのはたいせつだと思いますよ。そう思うと、過ごしている時間がすごく濃密になるからね。」という内田氏の談で具体的な行動として示される。「人生の最終点から今の自分を逆照射してみる。」ことで「物語性の獲得」をすべきだという名越氏の指摘は傾聴に値する。


「おわりに」で内田氏が力説している文章。


「邪悪であるのは人間だけである。」


 その力点が通読すると、すっーと腑に落ちてくる。


自覚なき「ショッカー化」の呪縛を、「祈り」=「メタ認知」で解き放つ為に。
価値観を再生し、この「揺れ」が常態化した国土で生きる為にも。
考える尺度として読んでおきたい一書である。
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