映画「源氏物語 千年の謎」雑感
2012-01-08
謎は謎であるから存在価値がある。その実態を探ろうとすればするほど、迷宮に嵌まり込むように深く難解であるのが正真正銘の“謎”である。その解かれてはならない“謎”を映像化し、やはり解けないどころか入り口にまでしか至らなかったのが本作品の正直な感想だ。千年の時を経て多くの日本人が、その物語に魅せられ、読み解きを試行錯誤し、どこかで男女性愛の運命に身を重ねて来た結果、謎が謎を増産し今に至るといってよい。これまで何度も映像化されてきた『源氏物語』。至極当然のことだが、たいていは、その「物語」の筋立を中心にした展開となってきた。だが今回の作品は、物語作者とされている紫式部が、なぜこの物語を書き綴ったのかという「物語」外の視点と、「物語」内の光源氏の苦悩が交錯する形で展開する仕立てとなっている。冒頭から夜陰に紛れて藤原道長による紫式部への野辺における強引な情交シーン。式部の満たされない断片的な愛情への疑問が、『源氏物語』の筆を進める原動力となっているという設定を生み出す。まずは、こうした映画作品構造の二重性を押さえておかないと、早い段階から錯綜し映画鑑賞自体が“謎”と化してしまうかもしれない。
この作品の見所は、やはり装束・調度品や建築物の壮麗な造りであろう。映像技術の進歩と共に、“衣擦れ音”などの聴覚的な刺激も相俟って、平安朝貴族生活のあり様を実に豪奢に再現していると言える。もちろん、台詞の言葉や姿態などを含めて現代的映画であるという範疇ではあるが、それでも絵巻やアニメなどでは出せないリアルさを映像美が作り出しているといってよいだろう。
全篇を通して『源氏物語』を理解しようとすると、主人公・光源氏の青年時代における愛欲への苦悩しか描かれていないので、やや期待外れが否めない。しかも、光源氏の藤壺への思慕に関しては、十分に『源氏物語』の深みを表現しているとは言い難い。だが、そこで映画に断章があること自体に、紫式部がその「物語」を書き続ける意図を暗黙の裡に提示しているとする良心的な解釈も可能だ。あとはやはり『源氏物語』の原典に語らせるしかないという結論だと多くの方々が解せば、研究分野に関わる立場としては、ありがたい問題喚起であるとも言えるだろう。
いつの時代にも存在する、現実社会における建前と人間の謎めいた性愛における表裏一体の関係。人の性(さが)という命題に、むしろ真摯に向き合っていた千年前の“謎”の趣に、日本文化の深層が垣間見える。
性愛・結婚の多様性が欧州などでも提唱される時代。
むしろ『源氏物語』のうちにそんな多様性のヒントが隠されているとも読める。
まさに“謎”を追究し続けることこそ、人の性(さが)なのである。
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