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バンド仲間と皆既月食

2011-12-11
 最終電車間近の中野駅前。天空を見上げると皆既月食が浸食から“復活”すべくその一部に光を取り戻していた。その冴えたる光の筋を見ながら、音楽仲間との再会を誓いお互いを見送った。今や年中行事的な活動になっているバンド忘年会のエンディングである。
1年数か月ぶりでバンドのリハーサルを行った。数年前までは1年に1度のライブなども行っていたが、今や主力メンバーの渡米などの事情により、さながら“七夕バンド”のような状況である。それでも、スタジオに入ると過去の記憶が蘇り、流れもよく演奏できた曲も多かった。個々人の演奏能力の高さを改めて垣間見る時間である。
カバーしている内容は、今年の9月に久々の日本ライブを行ったTOTO。小欄でもそのライブ詳細を報告したが、スタジオミュージシャン出身でテクニカルな全米を代表するロックバンドである。単なるロックのみならず、ジャズ的な曲調やアレンジも多く、コード進行などにおいて、絃楽器奏者を虜にしつつ悩ませるような魅力を放つバンドである。
小生は、パーカッションと一部の曲でボーカルやコーラスを務める。学生時代から音楽経験は全くなかったが、この仲間たちと出会いにより自己開発のような気持ちで参加している。だがしかし、コーラスの音階を始めとしてなかなか演奏を引き立てる味を出すに至らない。今回のリハでも、納得できる曲もありながら、自分自身で反省すべき曲も多かった。

専門に研究している「音読・朗読」でもそうだが、どれだけ「読み込んだ」かによって結果は大きく左右される。音楽であれば、身体に染み付くほど「歌い込む」こと。またカバーバンドであれば、音源となるアーティストの演奏を、どれだけ多く聴くかということである。孤独に家で歌っているとできている部分が、スタジオに入ると儘ならないことも多い。それはまだ「聴き込み・歌い込み」が十分でないのである。「朗読」においても、身体から湧き出すように出てくる言葉こそ相手に伝わる。「音読」と呼ばれる、ただ声にして理解している段階では、聴く側に伝えきれない未熟な部分も目立つ。俳優の「朗読」がなぜ優れているのかというと、テキストを徹底的に読み込んで、それを自分のものにしているからである。それは音楽も同じ。音源の些細な特徴なども言えるほどに聴き込んでいる仲間の言葉に、改めて自己の未熟さを思い知るのである。

ベースを弾く仲間が、ある曲でコーラスに参戦する部分があった。そのサビの部分は、3人による3音階でのコーラスになるのだが、これが小生も未だ儘ならない。ベイシストの仲間は音をとる能力に優れているが、やはりコーラスに入ると、絃が疎かになると自分の演奏を振り返っていた。すかさずギタリストが、「考え事をしながらでも弾けるぐらいにしておく必要がある」と曲の合間に語った。要は、「聴き込み・歌い込み(演奏の場合は、演奏を繰り返し)」意識して身体が動く範疇を超えていくことが必要なのだと悟った。「意識」から「無意識」へ。こうした境地で行う「演奏」・「朗読」こそ、初めて人前で披露できるものになるのだと自戒を込めて思う瞬間であった。これはまた、8月に行った「落語」にも通じる境地である。

そんなリハを4時間終えて、楽しい忘年会へ。バンドメンバー以外からも2名の参加者を加え、なかなか楽しい時間であった。月の見える店内から、「皆既月食はまだか?」などと言いながら、楽しい時間は速やかに過ぎて行った。

 身体表現・音楽演奏・古典芸能

いずれも「音声表現」を考究するという意味で、自分自身が生身で挑戦しておきたい分野。未熟な小生を受け入れてくれているバンド仲間たちへのありがたみを感じつつ、天空の皆既月食のように、陰のように欠けた自分の未熟さを自覚する一夜であった。

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