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表現手段と友達のことば

2011-11-11
 大学学部時代の友人から、こちらの期待に応える内容のメール。やはり友人は、いつになってもありがたい。しかも昨日送信して、一晩を経ての受信。この即時性がメールの大きな特長でもある。面と向かってはなかなか言えないことも、メールなら言えることがある。そんな効用も感じつつ自分の気持ちを、キーボードを通して表現する。

 もはや自分にとってキーボードは、一番素直に心情表現をできる文房具となりつつある。先日購入したMacbook Airは、ローマ字入力しかしないだろうと考えて(見た目を重視してしまった拙い判断を伴いながら)US仕様のキーボードを選択した。しかし、使用しているうちに“カギ括弧”や“なかぐろ”キーがないことで、自分の文章表現が制約を受けているような感覚に陥った。14日以内なら返品交換が可能だとアップルストアのスタッフが言っていたのを思い出して、すかさず相談すると、理由を聞いて即座に嫌な顔一つせず、日本語キーボードに交換してくれた。(購入後14日目であったが)

 だが、しかし手書き文章の大切さも捨てたものではない。昨日の小欄に記した「書簡」の類では、むしろ手書きで実行したくなる機会も多い。昨日も小欄を読んでいただいた方から「万年筆と便箋を使用する」という反響をいただいたが、確かに万年筆の筆触というのは、気持ちを伝えるのには重要だと認識できる。(手書きの奥深さは改めて小欄で触れよう)

 といった、対照的な文房具の問題もさることながら、気持ちが伝わるかどうかは、相手とのコミュニケーションと人間関係の妙に依存している部分が多い。面と向かってはなかなか話せない内容でも、きっかけを与えてくれる小さな一言が、TwitterのDMを介して届けられると、一気に気持ちが解放されたりする。それは、自分の表情やしぐさなどから、その心の具合を精緻に感じ取ってくれた、掛け替えのない友達からのことばである。

 ことばではない余白の部分に、人はむしろ心情表現を託しているのかもしれない。その余白を読み取ってくれる人とそうでない人の差が、友達として信頼できるか否かに関わってくるのだ。友達は自分のできる最善の手段で、小生に最大限の激励のことばを贈ってくれた。もはや、どの文房具で文章を書くかという問題を超えた、人間的な繋がりの問題である。

こんな友達を持てることが、何よりもありがたく大切だと噛み締める一夜。
 
 
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