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始末書の目的

2011-10-20
 一昨日、小欄にも書いた朝日新聞連載「プロメテウスの罠―研究者の辞表―」が毎朝気になる。それほどにこの連載が伝えているNHK「ETV特集」は、衝撃的な内容であった。放映された6月5日(日)には、Twitterで「よくぞNHKは、これを放映した」と賞讃の声が多数TL上を賑わせた。しかし、今になってこの新聞連載を読む限り、賞讃される対象は「NHK」ではなく、「番組制作者たち」であることが理解されてくる。

 労働安全衛生総合研究所の職を辞した研究者の木村真三氏とともに、NHKデュレクターの七沢潔氏と大森淳郎氏は、3月15日から福島入りしワゴン車で原発周辺の土地を、放射線量を測りながら3日間走り回った。目的は「放射線汚染地図」を作成する為であった。その後、「ETV特集」のプロデューサー増田秀樹氏も加わり、29日まで断続的に現地調査を続け4月3日の放映を目指した。まさに決死とも言える番組制作取材である。

 ところが22日に局内の会議で、この番組放映が“ボツ”にされたという。仕方なく、4月3日には対談番組を急遽制作し穴を埋めた。


 このような番組取材の最中、増田秀樹氏は「30Km圏内にも入れる」という勘違いをし、浪江町・葛尾村・南相馬市を車で駆け回る。しかし、NHKは「30Km圏内入りを自主規制」していたという。我々の誰もが記憶にあるように、福島第一の様子は「30Km圏外のカメラから撮影」という断り書きのある映像でしか観ることができなかったのは、その為である。その後、増田氏は始末書を取られることになったという。

 ここで考えたくなるのは、この“始末書の目的”は何だったのかということだ。3月4月の時点でも、外国人ジャーナリストからは、「なぜ日本のジャーナリストは、フクシマの現地で取材しないのか?」という疑問の声が上がっていたと聞いた記憶がある。例えば、紛争地帯での戦争取材を現地で敢行するジャーナリストを考えるならば、命懸けでも、現地で真実を眼前に観てそれを多くの人に伝えるのが使命のはずである。紛争地で命を落としたジャーナリストやカメラマンは数多い。そんな世界の常識に見合った行動をした者に対して、始末書を取る組織の“良識”とは何なのかと疑いたくなる。むしろ逆に、それほど露呈してはいけない現実がフクシマにあることを証明する結果になっているのだ。

 組織が所属構成員に課す“始末書”などという措置は、大抵が組織の体面を保つためである。現実的な信念に基づいた行動であっても、個別の「組織の論理」の上では出過ぎた行為となり、“始末”が求められる。だがしかし、NHKが多くの視聴者(少なくとも小生がWeb上で目にした数多くの意見を持つ人々)から絶賛を浴びる為には、この始末書を越境した行動が必要であったという皮肉な結果を露呈したことになる。受信料を強制的に支払っている我々としては、その金の行先を“臆病組織”ではなく七沢氏・大森氏・増田氏の3氏に命懸けの取材費用として支払いたい気持ちにさせる。


 本当に“始末”が必要な行為というのは、このような表立った処分が下されることもなく、組織に内在する烏合の衆の中で、暗躍たる料簡により隠蔽されるのが常である。たいてい組織は狭量な見識しか持たない為、発生している問題の本質を捉えきれず、更なる問題の拡大に及ぶことになる。


 よく日本的な刑事ドラマでは、上司に辞表を差し出して単独捜査に向かい、事件を見事に解決する英雄が出てきたものだ。ドラマの結末はお決まりで、上司の刑事が机の引き出しから辞表を取り出して、破り捨てる場面であった。そんな粋な上司はまさにドラマ的な幻想に過ぎない。だが、我々が刑事ドラマに夢中になったのは、上司が部下を信じてくれるという人間的な結びつきに、心が突き動かされたからではなかったのか。お笑いでは「ドラマは現実ではあり得ない」などと言ってネタにしているが、ドラマには現実への皮肉や願望が込められているという“教養的構造”を、笑いにのみ貶めてはならないと思う。

 
 このように考えてくると、ジャーナリストを始めとして、組織に頼らないフリーランスの姿勢で信念を貫く立場の人々が、更に逞しく思えてくる。

 フリーランスを経験した人は、芯がブレないのだ。



 組織に埋没するか、自らの信念を貫くか。

 ジャーナリズムを中心に、日本社会の中で蠢く二者択一。

 それを二者択一でしか思考しない社会構造も大きな問題であるのだが・・・。
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