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大学キャンパスが意味するもの

2011-09-25
 研究学会で筑波大学まで赴いた。初めて“つくばエクスプレス”に乗車し、新御徒町から快速で42分。そのスピード感はかなりのもので、都心からの距離を忘れさせた。だが、以前までは筑波大学というと遠い印象があり、既卒の方々に言わせると“陸の孤島”という表現さえ出てくるような環境。小生も大学受験の時に志望校にしていた時期もあったが、やはり下宿前提という条件だったと記憶している。

 つくば駅からは“大学循環バス”に乗車。その広大なキャンパス内の道路には樹木も豊富で、木立の合間から各学群の施設が見え隠れする。また学生が宿舎にしているような建物も目に入り、街全体が学園都市構想により造成されたことを窺わせる。そんな車窓風景を楽しみながらバスは進み、中心に位置する大学会館の国際会議場に到着した。

 大学関係の方の話によると、3.11の地震で揺れは震度6弱。建物の損傷や図書館の本が落下するなど、かなりの被害が出たという。中には未だに使用できない教室もあり、不便さも伴っているという。それは、30年前は最新式であった大学建築物が微妙に老朽化し始めている兆候でもあるだろう。

 “筑波学園都市構想”に対して、中学高校時代の小生は憧れていた部分がある。寄宿して学問や運動に打ち込める大学生活。そんな妄想を高校時代に繰り返していたことが思い出される。自然が豊かな環境の中で存分に学びたいことを学ぶ。そんな大学生活を思い描いていた時期もあった。結果、都心の憧れの大学に入学することになり現在のような状況に至るが、そんな過去の思い入れがあるだけに、こんなキャンパスを見ると職業柄、問題意識が高まる。

 先月にはアメリカの広大な大学キャンパスで過ごしていたので、筑波大学のキャンパスはそれに近いものを感じた。もちろんアメリカでもニューヨークなどの都市部の大学は、繁華街のビルの中という場合もある。しかし、概して郊外型の広大なキャンパスを基本としているのは、日本人が描く“大学キャンパス”の理想像でもあるだろう。そんな発想で30年前頃より、日本の首都圏でも郊外型の広大なキャンパスに移転する大学が増えた。周囲に遊べる場所は少なく、学問に運動や文化活動に没頭できる環境である。

 しかし、ここ10年ぐらいの間に大学キャンパスは“都心回帰”が流行となった。都心部の狭い土地に高層化した校舎を建築し、交通の利便性などを売り物にして学生を集めるという施策が基本となった。都心のマンション同様に、高層校舎の建築合戦になっているような様相である。その構想は果たして日本の大学教育にとって健全なことなのかどうかと疑問に思う。筑波大学のキャンパスを見て、改めてそんな問題意識が高まった。

 偏差値により輪切りにされた大学評価の横行。「“・・・レベル”以上には行きたい」などという受験生の志望理由。はてまた「タワー校舎が綺麗そうだから」などという戯言・・・・・。ただでさえ、世界レベルで日本の大学評価は低いとされているのに、ましてやハード面しか重視しない学生の増大。まるで“テーマパーク”を口コミにより選ぶかのように受験生は大学を選択する。そんな見せ掛けの大学受験“制度”において、大学キャンパスのあり方は迎合するかのように見映えと利便性を競う。高層化された人口密度の高い校舎に押し込められた学生は、“帰宅難民”ならぬ“就職難民”予備軍であることの自覚もなく、笑顔で親のすねかじりをして学生生活を謳歌する。このように考えると、大学教育改革は日本の将来を見据える意味でも危機的に急務な課題であると痛感するのである。


 そんな情勢の中で我が道を行くように見える筑波大学の姿。やはり自分が受験の時に憧れていた感性は間違いではなかったと確信した。

 大学時代とは学びたいことを発見し、自分自身に目覚める時間。学問や諸活動に没頭し厳しい時間を過ごすことで、真に将来の日本を支える学生が育つことを構想しなければならないはずだ。

 遊ぶことだけに利便性の高いキャンパス環境の増大から、末恐ろしい未来が透けて見えるのである。
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