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跳梁跋扈する言葉の罠

2011-09-23
我々は人の言葉を信じることから、様々な人間関係を築いている。親族などの身近で愛する人も初対面の人も長年馴染みの友人であっても。その言葉というものに思考・感性・人柄・真実・愉快などを聴取して信頼関係を築き上げるものだ。ゆえに、言葉の力というものは貴重であると同時に、危険である側面を持っていると感じることも多い。


 国連の「原子力安全ハイレベル会合」で野田首相が演説した。相変わらずその柔らかな口調の演説は、穏健な印象を与える。だがしかし、その内容を精査すると聞き捨てならないものが含まれていることに気付いた。改めて新聞朝刊で「演説要旨」を確認したので、その部分を引用しよう。


 「日本は事故のすべてを国際社会に開示する。」
 「日本は原子力発電の安全性を世界最高水準に高める。」


 「原子炉の年内冷温停止」を打ち出した事とともに、上記の言葉には正直、驚きを隠せなかった。この野田首相の演説内容は、もちろん日本の大きな希望である。だが、現在の福島第一原発の状況をどれほどの国民が正確に理解しているであろうか。「事故のすべて」を「国際社会」に「開示」すると宣言する以前に、その国土に住んでいる我々国民に、本当に「すべて」が「開示」されているのかは疑問で、この演説内容によってむしろ甚だしい疑念だけが先行してしまう。あと3か月という「年内」で本当に「冷温停止」が可能だと思う国民がどれほどいるのであろうか。野田首相の演説は、国際舞台という建前の中で跳梁跋扈し、その放射能汚染されている国土に住んでいる我々には、“よそ行き”の言葉にしか聞こえない。親バカで他人に対してありもしない子供の実績目標を、さも真実かのように語る“痛い親”の発言に似ている。当事者である我々日本国民だけが置き去りである印象を受けざるを得ないのだ。穏やかな言葉であるだけに余計恐ろしいのである。

 「安全性を世界最高水準に高める」には開いた口が塞がらないほどのものを感じる。この究極ともいえる「世界最高レベルである原子力災禍」に見舞われながら、そんな虚飾を掲げて「原子力発電」を更に推進して行こうというのか。穏やかであるからそう聞こえないだけで、明らかに盲目的な「原発推進宣言」であると受け止めてしまうのは、小生だけであろうか。もっとも米国オバマ大統領には、そのアピールは通じず「普天間問題の結果」を求められたというから、穏やかな言葉の跳梁跋扈は一蹴されたといってもよいのであるが・・・。



 更にプロ野球界のニュース、中日ドラゴンズの落合監督が今季限りの退任を球団が発表。このようなシーズン終盤で優勝争いをしている段階での発表自体に、意図的な“悪意”を感じてしまうのは“へそ曲がり”な小生だけであろうか。球団が発表した理由は、「新しい風を入れる」であったのだが、後任は落合監督より一回りも年上で70歳の高木守道氏である。何も年齢によって「新しい古い」が即座に判断されるわけではない。だが、監督在任中にリーグでは常にAクラス、日本一にも導いた監督を解任する理由として、お粗末な言葉を跳梁跋扈させようとした球団姿勢には疑念しか残らない。当の落合監督は「契約書通り、この世界はそういう世界だ。」とだけ短く述べたという。彼らしい対応であるが、それで精一杯という感じもする。ここでお断りしておくが、何も後任に発表された高木氏を批判する気持ちは毛頭も持ち合わせていない。あくまで球団と契約している個人の問題として、組織と関係する我々すべてに置き換えて考えられる問題だと言いたいのである。


 いつでも個人は組織に対して弱い立場にある。契約は契約であっても個人の立場を尊重する配慮が組織には必要であるはずだ。組織は個人に対して無批判に権力を浴びせていることを忘れてはならない。

 国家・政権もまた同じ。国民たる個人は弱い存在である。それゆえに跳梁跋扈する形式的な言葉ではなく、せめて信頼関係が感じられる言葉を発するのが、政治の長たる使命ではないかと思うのである。



 最後に念のために述べておくが、「跳梁跋扈」という言葉の語感は、「好ましくない者が、勝手にふるまうこと」(『新明解国語辞典』三省堂)と辞書にある。敢えて『新明解』の解釈を提示しておくことにする。
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