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自由と寛容

2011-09-12
 あの9.11から10年が経過した。「その時、自分が何をしていたか」を少なくとも日米両国民が胸に刻むことのできる歴史的な日付といわれている。自分自身の10年間の歩みを振り返るのもさることながら、この10年で世界はどう変わったかという“歴史”を改めて認識しておかねばならない地点にやってきたといえるだろう。


 「社会が自由や寛容を失ったら、それこそテロリストを勝利させることになる」


 9.11直後にNY大学の教授が語ったことばとして、この日の「天声人語」が紹介していた。では10年経過した今、果たして日米両国に限定したとしても「自由や寛容」はどのようになっているのだろうか?少なく見積もっても、確実に「自由や寛容」が失われて来ているという見方に異論は少ないであろう。

 米国では“愛国者法”という「国民を監視し続ける法律」が施行され、今年の5月で時限失効するはずであったが、オバマ大統領は“時限延長”に署名した。街ゆく人々は無数の監視カメラで行動を追尾され、Web上での意見・書き込みにも制約が及び、クレジットカードの使用履歴情報を国家が管理できる体制にある。この法律による冤罪も後を絶たないという。確かに空港のセキュリティーを始め、カード・Web情報・監視カメラを駆使すれば、小生が先月に米国に滞在した足跡は、全て捕捉することができる。

 さらには、小欄のようにWebに自らの足跡をご丁寧に補足までする。これとTwitter・Skype・Facebookを併せて国家が追尾すれば、その思想・信条に至るまで管理できる社会になっているのだ。まさに、いまこの文面自体をどのように読まれるかが、大きな問題と言わざるを得ない。

 日本でもまた「自由と寛容」が失われているはずだ。ただ、それを米国以上に国民が“意識”してないところに大きな問題が潜むような気もする。政治・社会に対する「寛容さ」の全くない非難。身近な教育・売買・サービスに対する怒りにも似た批判。Web上に見られる徹底したある種の意見に対する攻撃。その結果、苛立ち憎しみ合い非難が吹き荒れるがために、児童虐待や自殺など攻撃か自傷に走る人々の増加。「自由と寛容」が失われたゆえに生じてきている社会的閉塞感は多岐にわたるはずだ。


 この10年目の9.11を機に、今一度、自分自身の人生の文脈とは別に、いま生きている日本社会について考えてみるべきではないだろうか。もちろん、そのどんな点が自分自身の人生の歩みに影響を及ぼしているかを見定めながらも。


 メディアでは、「3.11から半年」ということと重ねて“10年目”を語る論調も見られたが、そこははっきりと峻別しておきたい。ただ、自然に対して「寛容」であったはずの日本人が、“自然の怒り”から何を学んで目覚めるかという点においては、自らの姿を省みる点で、この10年を深く省察すべきなのかもしれない。

 
 「次の10年は?」などと考えること自体が、“9.11”を歴史として認識していることになる。


 まずは自分自身の足元から「自由と寛容」を見直してみるしかない。
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