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「片棒」を担ぐ

2011-09-10
 「片棒を担ぐ」というと、どちらかといえば“悪事に加担する”というニュアンスが強い成句であろう。元来、駕籠とか天秤棒で樽等を担ぐ際に、前後二人の片方のことをいう。二人が揃わなければ成立しない事柄の「片」方を担うという訳である。当然、現代の生活からは失われた光景であり、江戸時代の世態風俗を反映した表現である。

 落語に「片棒」というネタがある。ケチに徹して財を成して身代を築き上げた老年の男が、後継者選びの為に倅(せがれ)の了見を試すという噺である。三人いる倅に対して、「自分が死んだらどんな弔いを出すか」という問いを順番に試していく。長男の“金太郎”は、金に糸目をつけず何から何まで豪勢な葬儀を行うと答える。次男の“銀次郎”は、紅白の装飾に、祭りのように芸者の手古舞、山車、神輿の行列を繰り出という派手な葬儀行うと陽気に答える。三男の“鉄三郎”は、倹約第一の葬儀を行い、人々には時間を違えて知らせておき、来訪者には既に終わったと言って菓子代を浮かせるという徹底した節約。棺も漬物桶でいいという。その桶を誰が担ぐのか?というところで噺の下げとなる。

 
 この噺を、金原亭馬治さんの『あのあの馬治~種の会~』第14章で、この「片棒」の熱演を聴くことができた。もとの話では“松太郎”“竹次郎”“梅三郎”が多いのを「金銀鉄」にしたあたりも粋である。噺の筋書きもさることながら、各倅が親父に弔いの内容を説明する所作が、何とも活き活きしていて好演!江戸の“ケチ”の人情と同時に、贅沢と派手の極みな世態風俗を浮き上がらせるという意味で、大変聴きごたえのあるネタであった。

 落語に“ケチ”をからかうのは許されるという。人間が陥りがちでありながら、ふと笑いながらも戒めたい思いにさせる人物像であるからだろう。同時にその対極での“豪奢”もまた戒めたい対象。落語には、ふと人間の生き方を考えさせられる窓がいくつも開いているのだ。そこから覗く人間模様に笑いと真実が隠されているのである。


 「片棒を担ぐ」の成句としての由来からして、こうした落語にも関係する日本語表現を大切にしていく言語生活が望まれるのではないだろうか。そして落語に登場する、いつの時代も変わらない滑稽な“誤謬”を、いま生きる世態の中で認識するためにも。


 落語が傍らにある言語生活、何とも魅力的である。
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