ナビゲーションとの格闘
2011-08-21
道を見極めたり覚えたりすることには、かなり自信がある。頭の中に立体的な地図を方角を間違わずに思い描けるので、たいていどこへ行っても迷うことは少ない。それは都内だろうが海外だろうが同じである。特に海外に行ったときは、その方向感覚が役に立つことも多い。しかし、最近は車にナビゲーションが搭載されていたり、携帯を利用すれば目的地までの行程を案内してくれる。すると時折、自分の方向感覚とナビの提案に微妙なズレが生じることがある。自分が地図で見定めた行き方とナビの行程が違うのだ。するとたいそう頭の中が混乱してくる。場合によると頭痛がしてくるような感覚である。
要するに自分の感覚とナビとが格闘するのだ。頭の中で格闘しながら運転するのは、あまりにも精神的に辛いのでナビが道を提示しているときは、方角等を考えないようにしてみる。するとナビの言いなりで目的地に着くことはできるのだが。
そのようにしていると、帰り道もわからない。自身の方角アンテナを使用せずに運転すると、自分では道を覚えないという結果になる。運転だけしていれば楽と言えば楽なのだが、どうも「運転」という技術の半分ぐらいしか駆使していないような物足りない感覚になってしまう。
人間には個人差はあるが方向を察知する本能があるのだと思う。それを”機械”の手頃な使用により退化させてしまっているような気がしてならない。便利になるのはありがたいことなのだが、せっかく備わった本能的な力を駆使しなくなるのも、不本意な気がする。
なのでナビを利用したときでも、なるべくアナログな地図を事前に見ておいたり、あるいは事後に復習したりして、方向感覚を身に付けるように努力している。特に海外旅行の際などは、その”感覚”そのものが旅行の思い出とも言えるので。
見知らぬ土地を、自分の能力で踏破したときの達成感。
旅行の魅力とは、そんなところに奥深さがあるに違いない。
それゆえにナビとの格闘を続けるべきである。その土地を心に刻み込むためにも。
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