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引用に伴う思考

2011-08-10
 小欄も例外ではないが、他者の文章の引用をする場合がある。本来は自分の意見を述べる筈の場において、なぜ他者の考え方を引用することになるのだろうか。その考え方に共感したか、あるいは批判的に思えたかという賛否に依存するのが、大方の動機と言えるであろう。ならば引用した考え方に対して、自らがどのように考えたかを明らかにしておく必要があるはずだ。

 毎度、学生のレポートを読むと考えさせられるのが、この「引用」における姿勢である。レポートの大半を「引用」に費やし、どこが自分の考えであるかがなかなか読み取りにくいものもある。また自分のことばで自分が考察した内容を、端的に説明しているものもある。どちらがレポートとして好ましいかは言うまでもあるまい。

 確かに自分自身が学生時代にも共感した論説を引用し、なぜ共感したのか、どこが優れた批評なのかを説明するのに躍起になっていた気がする。時に共感は妄信となる危険性を孕み、自らの解釈が歪むこともあった。そんな経験を振り返れば、やはり「引用」に対しては批評的な視点を保ってこそ、その意義があるのも自明のことであろう。

 他者の意見に同調するのは、ある意味で簡単である。日本人の多くは「同調」をよしとするが、果たしてどこまで奥深く理解し、批評的視点をもって同調しているのかが疑わしい。

 TwitterのRTなども「引用」の典型と言えるのだが、そのネットワーク自体の雑種性から、様々な誤差が生じる場合も多い。まったく違う角度で捉えられたことばが、次々とWeb上を徘徊し、書いた者の意図とは異次元な領域へと侵入することさえある。

 意見表明をするからには、何らかの議論を経ている必要がある。その出発点に、ある考え方を据えるのも必然であろう。ならば、その考え方と自らの考え方との距離感を示しておくことが、引用における基本的な姿勢である。Web上の様々なことばは、この過程が抜けてしまっているところに多くの問題が生じているのが現状であろう。


 自らのことばで咀嚼する。

 そんな思考を忘れずに、先達の卓見に耳を傾けていきたいものである。
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