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授業という旅の道すがら

2011-07-30
 半期15回の授業。今年は震災の影響で開始が5月と1カ月ほど遅れたこともあり、13回の授業。あとは各担当の裁量によりレポート等で補充という変則的な前期授業であった。15回を基準とするから「変則的」と言えるのかもしれないが、過去の大学であれば十分に標準的な授業回数でもある。だが、5月開始という季節のズレが知覚されたことによって、より短く慌ただしく約3か月間が過ぎ去って行ったようであった。

とりわけ大学の場合、授業は回数より質だと実感する。13回の授業に加え「朗読発表会」というイベントを催し、それに参加するために受講生たちも多くの時間を割いてくれた。それが強制したとか評価の為という利害関係からではなく、自発的に自己を表現する「朗読発表」に向き合ってくれた。少なくとも小生からはそのように見えた。たとえ評価の事が頭をかすめていたとしても、「発表」という一回性のライブ表現に賭けようとする意志は純粋としか見えない。そこにある実践的な達成感こそ、単なる知識や高評価を獲得するという形式的な学びを、いとも簡単に凌駕する。それを体験することが、小生の考える授業の質である。


この日が前期授業の最終回。この半期で学んだことで一番インパクトのあったことを、各自がカードに書き、クラス内でシャッフルして、身近にいる人と相互評価していく。そしてこの授業で学んだことベスト5を挙げてみる。

「古典やむずかしい文章も、声にすると日本語になる。」
「作品を人に伝える難しさ。声に出さないとわからないことがある。」
「声を届けるにはライブが一番。一人ひとりが声を重ねたら伝わる思いは無限大」
「朗読はかけ算だったこと。だまって読むのもいい。でもそこに誰かの声が加われば、テキストはずっと豊かになれるかもしれない。」
「古典は日本語。言葉にすればいろいろかわる。」

小生の個人的な好みで言うと。

「人間がいるから「朗読」はできる。」
「朗読は「自分」との対話。」


このあたりが半期で学んだ、印象に依拠した言葉の群れである。


一つの出会いがあり、そしてまた各自の日常に戻ることの繰り返し。授業は一つの旅のようでもある。ある人にとっては、最大限の感動を得て人生の流れを変えるような力にもなり得る。またある人にとっては期待外れであり、その場で得られなかったことを探す新たな旅に出る契機になるかもしれない。終わりを迎えたときに、それが役に立つか立たないかは即断できない。換言すれば、社会に出たときに実効的に役に立つか立たないかを基準に授業を受講すべきではないということだ。

 旅で得た偶然性に満ちた体験は、その後の人生において、いつか予想もしない境遇の中で、ふと再燃し自らの歩みゆく道を照らす燈火になり得るのである。


旅の中で、小さくとも心に刻まれ得る燈火を醸成するために、日夜、研究と教育に励むべきであると、一つの区切りを迎えるごとに決意を新たにするのである。


そして、授業という旅は自らが楽しむものでもある。
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