fc2ブログ

映像とライブとの格差

2011-07-23
 1週間前の朗読会を振り返るべく、その映像を授業で観た。その後に、参加者自身に感想を聞いてみたが、なかなか肯定的なものは出てこなかった。「自分が意識したより平板な声だった。」「もっと抑揚を付けた方がよかった。」「間を取っていたつもりでも、話し全体の早い流れにつられてしまっていた。」等々。各自がどちらかというと反省点を挙げる発言が続いた。

 そんな中で、「発表会までの過程で精一杯やったのだから、自分たちの朗読に自信をもつべきだ。」という発言をする学生がいた。確かに、単に「振り返り」というテーマ設定なのに、いつしか内容は「反省会」と化していた。物事について反省するのは必要不可欠だが、お互いの朗読を賞讃する内容にならないあたりが、日本の学生の特性なのであろうか等という疑問が心に浮かんできた。

 多くの紆余曲折を経て、一つの朗読を創る。その過程には様々な葛藤が去来し、自身の意見と集団の意見を摺り合せることが繰り返されたはずだ。その結果、出来上がった朗読作品。その完成度もさることながら、創り上げる過程にこそ貴重な体験が満載なのである。発表会という1回性のライブにおいて、もちろん最大の効果を発揮することも大切ではあるのだが。もし、仮に複数回の公演が許されるのならば、参加者の感想も変化したに違いない。


 同時にVTRカメラがライブを撮影する限界も垣間見えた。会場のある地点から固定で、1か所のマイクのみで音を拾う。ゆえに、自ずと平板な声になる。抑揚や強弱などの立体感までを録るには、この機材では不可能だという事にも気づいた。

 そういえば先月、俳優・入川保則さんの朗読会に行った際に、各俳優の前にあるマイク以外に、周囲から大きなマイクを移動させながら音を録っていたスタッフがいて、大変気になったことが思い出される。眼前の単一指向性あるマイクのみではない、立体感ある音を録る為には、あれほどの機材が必要なのだと改めて感じた。


 これまた朗読会を主宰する側の反省となった。やはり学びの為には反省も必要だ。


 同時に、大学の一授業において、これほどまでに熱中できる内容を提供できたことを、自画自賛したい思いも持つ。講義を聞いて、知識をまとめて、試験を受けて終わりという授業とは、大きく違った流れと効用がある。こんなスタイルの体験型授業を、今後も増やしていきたいものだと、改めて自分自身の使命を自覚する。
関連記事
スポンサーサイト



tag :
コメント:












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック:
トラックバック URL:

http://inspire2011.blog.fc2.com/tb.php/636-af1e8879

<< topページへこのページの先頭へ >>