眼前の人との出逢いを辿れば
2011-07-22
土用丑の日であるが、特に鰻を食べようとは思わなかった。毎週通っていたこの曜日の英会話教室も夏休み。そこで教室の前に必ず食事をする洋食屋さんにだけ恒例で出向く。スタミナが付く美味しいステーキでも食べようという思いもあるが、その時間に毎週のように来ている、90歳の老人と会って話せるということが、この洋食屋さんに出向く大きな理由になっている。英会話がなければ、多少のアルコール類を飲みつつ、しばしの談笑も可能でもある。どうしてこの眼の前にいる老人と話しているのだろうか。などと理由を考えるのも野暮な話でもあるが・・・。英会話学校がその近くにあり、レッスンのある曜日にたまたまその老人が、常連としてこの洋食屋に来ていた。双方の偶然や境遇の重なりが、不思議と世代を超えた交流を演出する。人と人との繋がりというものは、何とも奇異なものである。
2時間ほどのゆっくりとした食事時間を終えて、馴染みのワインバーに立ち寄ることにした。この空間もまた、何とも偶然に満ちた奇異なる出逢いを提供してくれる。他のお客さんがほとんど引けた時間に、店主と話していると、ふとこの境遇にいる自分の存在が気になって来た。眼前で話している店主となぜ出逢ったのか。それには、どんな行動をしているかなどである。
元を辿ると、その時は無謀とも思える突破力で、自分の殻を破ろうとする行動に出ている。その一歩があるからこそ、新たな出会いが繰り返され、新たな世界を垣間見ることができる今がある。その外の世界に飛び込めば、新たな泳ぎ方が自然と身に付いてくる。殻を破らなければ、固着し何ら変わらぬ人生を歩んでいたままだった。やや、大きな捉え方をしたが、そんな偶有性の海の中での自分の行動如何が問われているような気がした。
ゆえに、殻を破ろうとしたとき、もし迷ったら行動すべしということを、改めて胸に刻む。
人との出逢いの素晴らしさと、奇遇さ。
そこに人生の醍醐味があるのだ。
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