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理論化とシミュレーション

2011-06-16
「コミュニケーション能力」とは何か?各方面分野において、喧しく取り沙汰される世の中である。このように頻繁に意識されるという事は、世間でその能力が低下しているか、場合によっては不全に陥っているかという証左でもある。他人を評価する立場にある人物がこうした語彙を使用する際には、その不足を指摘する場合が殆どである。だが、その立場にある人物そのものも、往々にして不足していることが多い。自分に欠けている点を他人に求めているという性癖が、無意識に顔を覗かせていることに気付かない輩も多い。

 情報が溢れ、公開が原則となる社会において、「コミュニケーション能力」は必須である。医師・税理士・裁判官から学生アルバイトに至るまで、殆ど全ての仕事を為す際には不可欠な能力であり、その点を疎かにすれば即座に多様な批判が浴びせられる社会である。むしろ、必須だなどという観点こそ特殊なのかもしれない。翻って、「コミュニケーション能力」とは、人間なら誰しも備わっているものだと捉えた方が妥当なのだ。

 このような見方を『コミュニケーション力を引き出すー演劇ワークショップのすすめ』(平田オリザ・蓮行・PHP新書)に教わった。赤ちゃんは、何かを訴える際に「オギャ~」と泣くだけで双方向のコミュニケーションを持っていない。しかし人間のコミュニティーに属してさえいれば、自然と言語能力が身に付いてくるのと同様に、「コミュニケーション能力」も、人間が元来備えているのだと考えることができるという。それは「繰り返しの訓練と、成功体験の積み重ね」で向上するということも、他の能力と同じだというのだ。

 誕生から思春期に至るまでは「仲良くなって一緒に遊ぶ」という「他者との関係づくりが楽しいという成功体験によって、コミュニケーション能力がすくすく育つ」時期だとする。しかし思春期以降は壁にぶつかり「他者とのコミュニケーションのリスクや失敗が生まれてくる」。そして「成功体験を重ねる」という「場数」を踏むチャンスが、現代の日本社会には決定的に不足しているというのだ。

 そこで「場数を踏んで成功体験を得る」ことに伴うリスクを軽減するにあたり、「理論化とシミュレーション」が有効であると同書は説いている。この点は野球を例に語られているのだが、「ヤミクモにバットを振る」のではなく、バットの握り・打席の位置・コースによる打ち分け等の対処方法を、頭に入れて打席に入るだけで「随分とヒットの可能性は高まる」のだという。確かに、その状況に応じて理論として考える間を持つというのが、野球の真髄である。一般社会での対応もまた同じであるというのは、理解はしているが、実践できていないことでもある。

 またこの「理論化」通りに身体が反応するには、「練習」が必要である。その中で、実戦に近い試合形式で「シミュレーション」を行うことで、対応能力が高まるのであるという。「そして上手く打てたときの「成功体験」でコツを掴み、やがては試合の本番の緊迫した場面でも、遺憾なく打撃力を発揮できる」としている。



 その「理論化とシミュレーション」の「結晶」が「演劇」であると、同書は説いているのだ。




 過去の時代においては、この2つの過程が身近な場面で体験できる機会がたくさんあった。失敗が許される寛容なコミュニティーに属していることが可能であった。しかし、現代の日本社会には、一度たりとも失敗は許されないような、無情な社会性が蔓延している。常に打率10割が求められる他人に厳しい社会。若い世代が、「理論化とシミュレーション」を実践しようとしても、社会や環境が許さない実情がある。


 ならば、せめて社会に出る前の学校で、こうした体験を繰り返しておく必要がある。そうした意味で、平田氏・蓮行氏の「演劇ワークショップのすすめ」は、大変重要な提案であると言えるのだ。


 同書を一読して、大きく「演劇」と構えないまでも、日常の教育現場でこうした体験ができる方法・空間・環境を整備することが、教育に携わる者として急務であることを実感した。
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