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一期一会の主張時季

2011-06-11
 日常的に教室で授業を行っている中で、必ずこれだけは訴えたいという主張がいくつかある。こうした主張は、毎回のように執拗にことばだけで伝えようとしても伝わるものではない。むしろ訴える頻度が高ければ高い程、日常化の中に埋没し、確たる主張だとは受け止められなくなる危険性を孕む。必ず伝えたいことは、伝えるべき時季を逃してはならないのだ。

それはもちろん年間授業計画の中で、戦略的に設定する場合もあれば、時として急に訪れる場合もある。授業戦略は、あくまでこちら側の妄想に過ぎない場合もあり、受講する学生の反応如何によって、格好のタイミングが得られる一期一会のような機会に恵まれる場合もある。その時季(とき)を逃してはならないのだ。

今回もまさにそんな突然の時季を得たような感覚であった。

この日(6月10日)の授業では、むしろ授業開始時のワークショップに気をとられていた。演劇的な身体ワークショップを冒頭に行い、テーマである読み聞かせの世界にすんなりと入り込む導入を試みたからだ。

その最初の動き。

1、肩幅に足を開き直立。
2、軽くその場でジャンプ。
3、着地した姿勢のまま静止。
4、曲がった膝をゆっくり伸ばす。
5、骨盤の上に頭頂部が乗る感覚を体感。
6、両手を頭の上にして背伸び。
7、両手を腰の後ろで組んで深呼吸。

参考:平田オリザ・蓮行 著『コミュニケーション力を引き出す』(PHP新書)P220

この身体運動により前屈みになった胸が開き、発声が容易になるという。実際、6番を行った時には、肩が凝っているというしぐさをした学生が多かった。


次に『こりゃ まてまて』(中脇初枝 文:酒井駒子 絵 福音館書店・0・1・2歳絵本)を1頁ずつ小生が読み聞かせ、そのことばを復誦しながら絵に出てくる幼少の子どもの姿勢をジェスチャーで真似る。場合によっては、その絵から感じるイメージや他の対象物をジェスチャーで表現してもいい。クラス全体が、同じジェスチャーである必要はない。こんなワークショップで、年齢を意識せず「読み聞かせ」の世界に入り込むことができた。

その後は、班分けにうつるが、先週のNHK「スタンフォード白熱教室」で実施していた内容を試みた。

1、集団が輪になり、頭の中である人を指定し、その人をAさんとする。
2、もう一人別な人を指定し、その人をBさんとする。
3、音楽がかかったら、そのAさんBさんと自分が常に正三角形となるよう保ち続ける。
4、音楽が止まった時点で、正三角形ができている人を確認する。

多くの学生が教室内で混じり合い、他者とぶつからないように配慮しながら移動する。そこに小さなコミュニケーションが発生する。

もうひとつ。

1、集団が輪になり、ある人を頭の中で指定し、その人を「悪の帝王」とする。
2、もうひとりを頭の中で指定し、その人を自分にとっての「姫」「王子」とする。
3、音楽がかかっている間は、「悪の帝王」から「姫」か「王子」を守るべく間の空間に移動し続ける。
4、音楽が止まった時点で、護衛を達成している人は手を挙げる。


これはいつどこで行っても、集団は教室の真ん中に密集し、動きが鈍くなる。やはり小生のクラスの学生も同じ。スタンフォードの大学生と同じ結果になって、ある意味で安心した。


3つのワークショップで所要時間10分少々。クラス内に新たな空気をもたらした。


そこでこの日の講義。「読み聞かせを考えるー日本とアメリカの実践から」

いくつか提示した資料をまずは示そう。

○ゲイリー・E・ヘイリー
「生き生きと受け答えをしてくれる大人に、じかに話しかけられたことのない子供は、ちゃんとした話し方を身に付けることはないでしょう。尋ねても答えてもらえない子供は、尋ねることをしなくなるでしょう。そういう子供は、ものごとへの好奇心を失っていくでしょう。そして、お話をしてもらったり、読み聞かせをしてもらったりすることのない子供は、本を読めるようになりたいとも思わなくなるでしょう。」

○ロバート・ペン・ウォーレン「フィクションを読む理由」
 「フィクションが好きだから」
 「フィクションには葛藤があるからーそして葛藤は人生の中心だから」
 「その葛藤がわれわれを日常の退屈さからめざめさせてくれるから」
 「フィクションはわれわれの感情を、涙・笑い・愛・憎しみなどで発散させてくれるから」
 「そこに記された物語が自分自身の人生の物語への手がかりを与えてくれるから」
 「他人の生活に逃げ込むことによって、生活の重圧から解放されるから」


 少なくとも日本の小中高校の教育が、「文学を意味あるもの」として扱っているとは言い難い現状を見るにつけ、「読み聞かせ」といった素朴な行為が、年齢を問わず行われるべきであるという考えを持つに至る。

 ここで主張したことは、まさに授業のライブ感の中でしか再現できない。ただ、ウォーミングアップで行った、3つの行為との化学反応が生じて、実に軽快かつ説得力を持って、一人一人の学生の眼に訴えかけられたと自負している。小欄では、文字で示すしかないので、その一言をもって本日は結びとする。


 「文学は実学なのだ」
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