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プロとしての矜持は?

2011-06-02
 「プロ」という語彙を使用すると、どうしてもスポーツ選手などの特別に選ばれて技術を披露する職業を連想する。しかし、職業である以上何であっても、その仕事に対して何らかの対価が支払われる。そういう意味では、全ての職業がプロでもある。日本語では、プロの対照語は「アマ・素人」であるが、スポーツ界での「アマ」というレベルが、比較的高いレベルに設定されているのに対して、「素人」という語感は、どうも対価の対象にならないような仕事を指す場合が多いような気がする。

 マンションの管理組合関係の口座手続きで、3つの銀行を巡り歩かねばならなかった。1軒は家から至近距離なので、そこから開始。あとの2行は徒歩10分以上あろうか、JRの駅前に出向かなければならない。管理会社の担当の方と一緒に、1軒目の銀行手続を終えてから、タクシーに乗り込んだ。JRの駅名を告げると運転手が、「道を教えてください」と言った。内心「えっ?」と絶句してしまった。主要幹線道路から山手線の駅までである。「希望の道を選んで指定してください」というような良心的な配慮からという程に、道の選択肢があるわけでもない。何らかのマニュアルでもあって、型通りに聞いているのではと思うしかないような気分だった。

 銀行手続も終えて、このことをTwitterに書くとある方から返信があった。

 「タクシー会社というのは、常に人手不足。キツイ割に賃貸が安いため長続きしない人が多いからです。タクシー会社は稼働率を維持するために素人だろうと地方出身者だろうと採用しますのでそうなってしまうのかもしれませんね。」


 確かに、「人手不足で稼働率を維持」しなければならないという業界の事情は分かる。だがしかし、職業として人を乗せて走る以上、プロとしての意識が求められるのではないだろうか。まずは安全面においても、「素人」だからといって乗客を危険な目に会わせるような運転が許されるわけはない。次に行先についても営業運転をするならば、多少なりとも道を勉強すべきではないだろうか。老人などの乗客は、運転手が道を知っているのを頼りに、タクシーを利用する場合も多いだろう。そんな状況で道に迷って、目的地に行き着かず、料金だけが高騰してしまうような運転は、公共の福祉としても問題がある。

 米国に行きタクシーを利用する機会がある。大抵の場合、ストリート名を提示すれば、目的地まで連れて行ってくれる。むしろ、料金を上乗せしようとしているとか、別な意味での「プロ」ではないかというような懸念があるあたりは、日本とだいぶ事情は違う。しかし、多くが中南米出身者などで、まさに「地方出身者」なのであるが、その都市の道は熟知しているような印象がある。(熟知することで意図的な遠回りをする知恵も覚えるのだろう)

 一昔前は、日本のタクシーでも、大渋滞を絶妙な裏道で回避するような「職人芸」を持っている運転手さんがいた。都内の道を、一般の方以上に知っていると自負する小生が、納得するような「プロの味」をもった方がいたのだ。
 乗車中の会話などもまた同じ。こちらが世間話をしたいと察知すると、適切なコミュニケーションを展開してくれる運転手さんもいた。黙って乗車していたいと察知すれば、静かに車を進める運転手さんもいた。

 こうした「職人芸」的な「プロ意識」は、既に昭和の遺物なのだろうか?バブル崩壊以後の「失われた20年」は、こんな日本の優秀なタクシー業務さえも崩壊させてしまったのか。自由競争ばかりに先導される新自由主義の流れは、日本にかつて存在していた、大切なものを尽く破壊してしまったような気がしてならない。



 プロが素人化した。


世間を見回せば、何もタクシー運転手にだけ言えることではないあたりが、日本が深い憂いの淵にいることを表面化させている。
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