fc2ブログ

大阪府条例案の意図を問う

2011-05-18
「複数回で免職」橋下知事が条例案」という見出しに、甚だしく違和感をもった。「大阪維新の会」が目指す「教員起立の義務化」条例に加えて、「懲戒免職処分」にできる「ルール化」を定めようとするものだ。ここに最も重い罰則を適用しようとする意図は何か?どんな教育現場を目指そうとしているのか?という点で、誠に理解に苦しむ。


国旗国歌問題については、各都道府県において独自の裁量で様々な対応がなされてきた。その賛否や問題の本質については、論点が多岐にわたる上に複雑であるがゆえに、ここで考えを述べることは控えておく。今回の条例案が問題だと思うのは、「免職」という権力側が使用できる最大の凶器を以って、この複雑な問題を一律に解決しようとする、その姿勢にある。

昨今の日本における教育現場が混迷してきた大きな要因に、「一つの答えを求める」単線的思考があることは、様々な方面から指摘されている。教科の性質を問わず、「一問一答」で「正否」を問うことが学ぶことであるという勘違いが横行する。その結果、大学入試も「穴埋め」的設問の比重が多く、思考力より暗記力を問うような閉塞的な内容になってしまっている。入試の影響力は、学校現場に少なからず影響を与え、その対策と称して「単線的思考の詰め込み」型学習が繰り返される。

2002年のいわゆる「PISAショック(読解力の世界ランク急下落)」以降、様々な反省に基づき、教育方針の改善が進められてはいるが、かといって劇的に思考力を養う学習が定着したかと言えば、かなり懐疑的である。大学入試が変わらない限り、教育現場も変わらないという連鎖がお互いを拘束し、なかなか閉塞的な蛸壺の中から脱することができない状況が継続する。「PISAランキング(読解力)」の回復も報告されているが、それも対処療法が作用しただけで、傷口に絆創膏を貼っただけでは、病気・怪我の根治には至らない様相に似ている。

学習者である生徒の思考力を養うには、指導者である教員が、幅広い教養に基づいた柔軟な思考力を持つことが要求される。また、思考力は様々な表現を伴って集団の中で攪拌されてこそ、育つものである。あくまで教員側が与えた知識を鵜呑みにして、暗記すれば高評価となる制度の中では育ちえ得ない。すなわち、指導者の懐の広い柔軟な裁量が求められるのだ。

こうした裁量を持つ指導者であるべき教員は、社会人として様々な視点から思考することが不可欠である。しかし今回の条例案のように、義務化として決められた「一つの答え」を、懲戒規定という圧力で押し付けられる状態は、教育現場における問題を無視した暴力的な威圧に他ならない。教員が普通に働きたければ、従順に何も思考しないか、あるいは「一つの答え」に賛同したふりをして、生き延びるしかなくなる。そんな教員の生き様を見て、子どもたちが思考力の翼を広げて育つはずはない。子どもたちは、自分の感じ方考え方に反しても、教員が提示した「一つの答え」を答案に書き、高評価を獲得することだけを目指し、従順に見せかけるという欺瞞に満ちた青春時代を過ごすことになるだろう。ここに教育制度の負のスパイラルが構築されてしまう。

建前では「多様な個を認め、大きな志を抱け」と生徒に喧伝する教育管理職が、自らの部下である教員の個を密閉し志を挫く。そこで世界規模で活躍すべき子供たちが育つはずはない。権力による威圧が行われるということは、個々の思考を攪拌する「対話」を奪うことになるのだ。


内田樹氏も今回の条例案についてブログ(内田樹の研究室「国旗国歌と公民教育」)で次のように述べている。

「教師たちをさらに無気力で従順な「羊の群れ」に変えることはできるだろう。そしてそのような教師を子どもたちが侮り、その指示を無視し、ますます教育崩壊を進行させる・・・」


国旗・国歌について様々な視点での議論を行えない教育現場で、「国旗・国歌観」が育つはずはない。

個々の教員・生徒が、いや大きく言えば我々国民全体が、「従順な羊の群れ」であっては、日本の将来が危うい。一つの条例案の方向性は、これほどの大きな意味を持つはずだが・・・。




関連記事
スポンサーサイト



tag :
コメント:












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック:
トラックバック URL:

http://inspire2011.blog.fc2.com/tb.php/575-ae7c51d7

<< topページへこのページの先頭へ >>