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「可用性バイアス」によるゆがみ

2009-11-18
 17日(火)朝は原稿を推敲。無意識に使用頻度が高くなっている語彙がある。何度も出てくることで、文章中での効果は薄れる。便利な語彙であり、同時にポイントになる語彙でもあるので、注意が必要だ。

 昼休み等に読書。『たまたま』の第2章「お粗末な記憶と「可用性バイアス」」には、次の様な一節があった。

われわれは過去を再構築する際、もっとも生き生きした記憶、それゆえもっとも回想しやすい記憶に、保証のない重要性を授けてしまうのだ。
可用性バイアスの好ましくないところは、過去の出来事や周囲の状況に対するわれわれの認識をゆがめることで、いつのまにか世の中をゆがめてしまうことだ。

 言われてみると確かにそうかもしれない。記憶の濃淡は根拠のないことで、「生き生き」と「回想しやすい」ものとして残る。その記憶により重要なことを判断してしまっているのだ。自身がゆがめて世の中を見てはいないか?改めて点検が求められるのかもしれない。

 夕方からは英会話。事前の洋食屋はほぼ定着した。今日はヒレカツを注文。ころもの付き具合も絶妙であり、またとんかつ屋のものとは違う趣で美味しい。帰りに「いつもありがとうございます。来週は休業します」と店の奥さん。どうやら息子さんがハワイで結婚式をするという。「おめでとうございます」と応え、常連客への一歩を踏み出した。英会話では、アリスの武道館や冷泉家のことを発表。日本の古典的内容を英語にするのはやや難しいが、講師のカナダ人が京都通であるのが救いだった。なにせ冷泉家の存在も知っているのだから。

 帰路に実家からの着信があったのに気付く。家に帰って電話をすると母から。日曜日の寿司屋であまり話せなかったという。何歳になっても、息子の身を案じてくれているのが母だ。思いっきり背中を押してくれる発言に、勇気づけられる。家の湯船につかり温まって布団の中へ。
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